大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(の)1号 判決

主文

被告人石油連盟、被告人瀧口丈夫、

被告人脇坂泰彦は、いずれも無罪。

理由

〔凡例〕

一  次に掲げる略称を用いることがあるほか、日常使用される略称を用いることがある。

略称     正式名称

独占禁止法・独禁法  私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律

業法     石油業法

供給計画   石油供給計画

生産計画   石油製品生産計画

業法計画   石油業法一〇条所定の石油製品生産計画

通産大臣   通商産業大臣

通産省   通商産業省

石連     石油連盟

需給常任   需給常任委員会(第四第四節五1参照)

需要専    需要専門委員会

需給委員長  需給委員会委員長

二  株式会社名については、初出のとき以外、名称中「株式会社」を省略する。また、初出のときに示す略称を用いることがある。

三  比率又は得率を示す数字は、百分比である。

四  証人及び被告人の当公判廷における供述のうち、第三四回公判までに行なわれたものについては、公判調書中のその供述の記載を証拠とし、第三五回公判以降に行なわれたものについては、当公判廷におけるその供述を証拠とする。

五  証拠物の押収番号は、すべて東京高等裁判所昭和五〇年押第三二号である。本文中にはその下の符番号のみを示す。

六  証拠の標目の記載例は、次のとおりである。被告人、証人等供述者の氏名については、初出のとき以外、姓のみを記載する。

記載例    上記の意味

瀧口供述七五回   被告人瀧口丈夫の第七五回当公判廷における供述

小田証言四七回   証人小田肇の第四七回当公判廷における供述

多々井証言三回   第三回公判調書中の証人多々井全二の供述記載

脇坂四九・四・二三検七項 被告人脇坂の昭和四九年四月二三日付検察官に対する供述調書第七項

第三七中「四七年度下期需給バランス四七年一一月二日」 昭和五〇年押第三二号符第三七号、「生産計画」と題するファイル中の同上

七  左記証人の当公判廷における供述を証拠として掲げたときは、その供述中併合審理中の別件(昭和四九年(の)第二号)のみについて尋問に対する供述部分を含まないものとする。

外山弘三五回、三八回、熊谷善二 三五回、四三回、鈴木両平三六回、三九回、田村勝則三七回、四〇回、飯塚史郎四一回、四四回、四五回

第一公訴事実

本件公訴事実及び罰条は、次のとおりである。

公訴事実

被告人石油連盟は、石油精製会社及び石油製品元売会社を会員とし、石油業の健全な発達を図り、会員である事業者の共通の利益を増進することを主たる目的として、昭和三〇年一一月一日設立された事業者団体であつて、その会員である石油精製会社二四社及び会員である共同石油会社の系列下にある石油精製会社で、原油処理計画について同会社の事実上の統制に服しているアジア共石株式会社の合計二五社の原油処理量は、沖縄県を除くわが国における原油処理量の約九七パーセントを占めているものであり、被告人瀧口丈夫は、昭和四六年五月から同四八年五月まで右石油連盟の会長としてその業務全般を統轄掌理していたもの、被告人脇坂泰彦は、同四四年六月から同四八年六月まで同連盟の需給委員会委員長として同委員会の所掌する石油製品の需給計画等に関する業務を統括していたものであるが、被告人瀧口及び同脇坂は、前記需給委員会の副委員長小貝谷らと共謀のうえ、同連盟において右石油精製会社二五社の原油処理量の調整を行うことを企て、被告人石油連盟の業務に関し、

第一  昭和四七年一〇月三一日東京都千代田区大手町一丁目九番四号経団連会館ビル内の石油連盟本部事務所において、同連盟の需給委員会を開催し、前記石油精製会社二五社が沖縄県を除く国内で行う同年下期六箇月分(同年一〇月から翌四八年三月まで)の一般内需用輸入原油の処理について、その処理総量を九二、四〇八、〇〇〇キロリットルとしたうえ、これを販売実績、原油処理能力等を勘案して按分し、いずれも右連盟の会員である日本石油株式会社、日本石油精製株式会社及び興亜石油株式会社を構成員とする日本石油グループ、同様の日本鉱業株式会社、東亜石油株式会社、鹿島石油株式会社、富士石油株式会社及びアジア石油株式会社並びに同連盟の会員でない前記アジア共石株式会社を構成員とする共同石油グループ、いずれも同連盟の会員である丸善石油株式会社及び関西石油株式会社を構成員とする丸善石油グループ、同様の昭和石油株式会社、昭和四日市石油株式会社及び西部石油株式会社を構成員とするシェル石油グループ、同様の三菱石油株式会社及び東北石油株式会社を構成員とする三菱石油グループの五グループ並びにいずれも同連盟の会員である出光興産株式会社、大協石油株式会社、太陽石油株式会社、ゼネラル石油精製株式会社、日網石油精製株式会社、東亜燃料工業株式会社、極東石油工業株式会社、九州石油株式会社及び日本海石油株式会社の九社に対し、各グループないし各社が処理しうる原油量を、別紙割当一覧表の「割当量昭和四七年下期分」欄記載のとおり割り当て、即時その効力を発生させ

割当一覧表

(単位千キロリットル)

番号

割当対象

割当量

昭和四七年下期分

昭和四八年上期分

1

日本石油グループ

一五、三一九

一四、四六〇

2

共同石油グループ

一三、一三五

一二、七四九

3

丸善石油グループ

七、七五八

七、三二三

4

シェル石油グループ

一一、一六一

一〇、五一六

5

三菱石油グループ

七、二四一

六、八三四

6

出光興産株式会社

一二、六四三

一一、九三四

7

大協石油株式会社

三、八七六

三、六五八

8

太陽石油株式会社

一、四三七

一、三五六

9

ゼネラル石油精製株式会社

四、二九四

四、〇五三

10

日網石油精製株式会社

一、六八〇

一、五八五

11

東亜燃料工業株式会社

八、六二五

八、一四一

12

極東石油工業株式会社

一、六一二

一、五二二

13

九州石油株式会社

二、七四三

二、五八九

14

日本海石油株式会社

八八四

七一五

合計

九二、四〇八

八七、四三五

第二  昭和四八年四月九日前記石油連盟本部事務所において、同連盟の需給委員会を開催し、前記石油精製会社二五社が沖縄県を除く国内で行う同年上期六箇月分(同年四月から同年九月まで)の一般内需用輸入原油の処理について、その処理総量を八七、四三五、〇〇〇キロリットルとしたうえ、これを前記同様の方法で按分し、前記五グループ及び九社に対し、各グループないし各社が処理しうる原油量を、別紙割当一覧表の「割当量昭和四八年上期分」欄記載のとおり割り当て、即時その効力を発生させ

もつて、わが国の原油処理に関する取引分野における競争を実質的に制限したものである。

罰条

私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第八九条第一項第二号、第九五条第二項、第八条第一項第一号

被告人瀧口、同脇坂につきさらに刑法第六〇条

起訴状別紙

第二公訴棄却の主張について

一裁判権がないとの主張について〈省略〉

二本件告発は無効であるとの主張について〈省略〉

第三独禁法八九条一項二号が憲法に違反するとの主張について〈省略〉

第四事実認定

第一節公訴事実に対する被告人、弁護人の陳述

各被告人及びその弁護人らは、本件公訴事実に対し要旨次のとおり陳述した。

公訴事実中、被告人石油連盟が石油精製会社及び石油製品元売会社を会員とし、昭和三〇年一一月一日設立された事業者団体であること、公訴事実記載の石油精製会社二五社の原油処理量は沖縄県を除くわが国における原油処理量の約九七パーセントを占めていること、被告人瀧口が公訴事実記載の期間右石油連盟の会長をし、定款上同連盟の業務全般を総理することとされていたこと、被告人脇坂が公訴事実記載の期間同連盟の需給委員会委員長をしていたこと、右委員会が同連盟の規定上公訴事実記載の業務を取り扱うことになつていたことは認めるが、被告人瀧口、同脇坂が小貝谷らと共謀の上、公訴事実第一及び第二のような行為をし、もつてわが国の原油処理に関する取引分野における競争を実質的に制限したこと及びその余の公訴事実記載の事実は否認する。

ただし、公訴事実第一に関し、公訴事実記載の石油精製会社二五社における沖縄県を除く国内で行なう昭和四七年度下期六カ月分の一般内需用輸入原油の処理総量が九二四〇万八千キロリットルであり、これを公訴事実記載のように按分し、五グループ九社が処理すべき原油処理量が配分されていたことがあること、公訴事実第二に関し、前記二五社における沖縄県を除く国内で行なう昭和四八年度上期六カ月分の一般内需用輸入原油の処理総量が八七四三万五千キロリットルであり、これが前記記載のように五グループ九社に配分されていたことがあることは認めるが、右の原油の処理総量及び配分をきめた主体及び時期に関する公訴事実記載の事実は否認する。

右のように原油の処理総量をきめ、これを各社に配分するということは、いわゆる「操短」の類と全くその根拠を異にする。即ち、石油業法下にあつては、原油処理総量の決定とその配分は必要不可欠かつ必然的なものであり、それはまさに石油業法とともに始まり、官民双方の協力のもと、石油業法の運用ないしその執行として石油連盟の非加盟会社の処理分も含めて行なわれてきたものである。

そこで、公訴事実及びこれと関連する事実について審理した結果、当裁判所が認定した事実を次に掲げる。ただし、被告人瀧口及び同脇坂の違法性の意識の点は、後記第八において判断するので、この事実認定ではこれに触れない。

第二節各被告人について

一被告人石油連盟

被告人石油連盟は、石油業の健全な発達を図ることを目的として昭和三〇年一一月一日設立された法人でない団体であつて、事務所を東京都千代田区大手町一丁目九番四号経団連会館ビル内に置き、原油の精製施設を有して石油精製業を営み又は全国的に一般石油製品の元売業を営む石油業者を会員とし、これによつて組織されている。同連盟は、会員会社相互の連絡、融和及び親睦、石油に関する知識の啓発及び普及宣伝、石油業に関する意見の発表及び建議並びに内外石油事情の調査研究及び統計に関する事項その他同連盟の目的を達成するために必要な事項の業務を行ない、営利事業を行なわないものとされている。したがつて、同連盟は、事業者としての共通の利益を増進することを主たる目的とする二以上の事業者の結合体で、独占禁止法にいう事業者団体であり、同月二六日公正取引委員会に同法八条二項による成立の届出をしている。

本件各行為当時、即ち昭和四七年一〇月ないし昭和四八年四月における石油連盟の会員は三一会社で、そのうち左記の二四会社が石油精製業者(うち○印を付けた八会社は、石油製品元売兼業者)であつた。(かつこ内はこの判決で用いる略称である。)

○出光興産株式会社(出光)

日本海石油株式会社(日本海)

日本鉱業株式会社(日鉱)

○日本石油株式会社(日石)

日本石油精製株式会社(日石精)

日網石油精製株式会社(日網)

東北石油株式会社(東北)

東亜燃料工業株式会社(東燃)

東亜石油株式会社

関西石油株式会社

鹿島石油株式会社

○太陽石油株式会社(太陽)

○大協石油株式会社(大協)

○丸善石油株式会社(丸善)

富士石油株式会社

興亜石油株式会社

アジア石油株式会社

極東石油工業株式会社(極東)

○九州石油株式会社(九石)

○三菱石油株式会社(三菱)

昭和四日市石油株式会社(昭和四日市)

○昭和石油株式会社(昭石)

西部石油株式会社

ゼネラル石油精製株式会社(ゼネ石精)

石油連盟の組織機構は、「石油連盟定款」並びに昭和四一年七月二一日に制定された「石油連盟の機構改正に伴う運営方針」その他同連盟の諸規定によつて定められている。それらにより、役員として会長、副会長、専務理事及び監事が置かれ(定款八条、一〇条、一二条)、会議として総会、理事会、政策委員会及び各種の委員会が設けられ(定款一六条、運営方針第二3(6)(7))、また定款には規定がないが、常務会が設けられている(運営方針第二3(5))。理事は、総会において会員各社の代表者各一名及び会員会社外から若干名を選任するが、会員会社外から選任された理事は議決に加わらないものとされている。会長は、理事会において選任され、石油連盟を代表し、定款の定める事項を掌るほか、石油連盟の業務を総理する旨定められている(定款八条、一〇条、一一条、二五条、「役員、委員の選任方法および員数について」1)。常設の委員会は、石油連盤の業務の特定の事項につき審議し、常務会に上申するものとされ(定款二六条、運営方針第二3(7))、常設委員会として本件各行為当時、技術、財務、需給、営業、運輸、硫黄、石油税制対策、環境、原油の各委員会が置かれていた。需給委員会は、長期及び短期の需給計画に関する事項並びに原油及び石油製品の輸入に関する事項の業務を取り扱うものとされ(「委員会について」Ⅰ3)、同委員会の委員には会員各社から正副委員が各一名あたるが、委員会には正委員が出席することが原則とされていた(「役員、委員の選任方法および員数について」6ハ)。委員長は会長が委嘱し、副委員長は委員が互選する(同5)。委員会の下に必要に応じ常務会の承認を得て専門委員会を置くことができるものとされている(運営方針第二3(9))。

石油連盟の事務を処理するため事務局が置かれており、事務局は総務部、調査部、財務部、業務部、技術環境部及び広報室に分かれていた。需給委員会の取り扱う事項に関する事務は、当初業務部需給課が担当していたが、昭和四八年八月需給部が設けられ、同部の担当となつた。

二被告人瀧口

被告人瀧口丈夫は、昭和六年日本石油に入社し、昭和四五年五月同社代表取締役社長となり、昭和五三年六月同社会長となり、また右社長であつた期間日本石油精製の代表取締役(昭和四六年五月までは同社社長)であつた者であるが、その間昭和四六年五月二一日から昭和四八年五月二五日まで石油連盟の会長であつた。

三被告人脇坂

被告人脇坂泰彦は、昭和一二年四月丸善石油に入社し、昭和四三年五月同社専務取締役となり、昭和五二年六月同社取締役を退任し、同社顧問となつた者であるが、その間昭和四四年六月一〇日から昭和四八年六月二八日まで石油連盟需給委員会委員長(需給委員長)であつた。

第三節背景事実

本節では、概ね本件各行為当時の情況について述べる。

一通産省の石油需給調整に関する行政

1  通産省の任務及び権限

通商産業省は、同省設置法により、石油(原油及び石油製品)の生産、流通及び消費の増進、改善及び調整に関する国の行政事務を行なう任務を負い(当時の同法三条二号)、この行政事務は主として石油業法に従つて行われる。通商産業大臣は、右の任務を遂行するため、石油精製業及びその特定設備を許可する権限を有する(同省設置法四条一項三九号の二、石油業法四条、七条)。

本件各行為当時、右の行政事務は、同省鉱山石炭局が分掌していた。同局には石炭部を除き六課が置かれていたが、そのうち右の行政事務を担当するのは石油計画課及び石油業務課であつて、石油計画課においては、石油及び石油製品に関する政策及び計画を立案すること、石油製品の販売価格の標準額に関すること、石油業法の施行に関する事務を総括すること、石油製品に係る事業の資金に関すること、石油審議会に関することその他の事務を、石油業務課においては、石油精製業に関する許可及び認可に関すること、石油及び石油製品の需給の調整に関すること、石油製品の生産技術及び生産施設に関すること、液化石油ガスの取引の適正化に関することその他液化石油ガスの流通に関すること、潤滑油の流通に関することの事務をつかさどる旨定められていた(当時の同省設置法一三条、通商産業省組織令八二条、八六条、八六条の二)。同局には局長の下に石油関係行政を統括する参事官が置かれていた。

昭和四八年七月二五日通産省の外局として資源エネルギー庁が設置され、右石油計画課、石油業務課の所掌事務は、概ね同庁石油部計画課、同部精製流通課がそれぞれ引き継いだ。

2  石油業法による石油の需給調整

石油業法は、石油精製業等の事業活動を調整することによつて、石油の安定的かつ低廉な供給の確保を図り、もつて国民経済の発展と国民生活の向上に資することを目的とし(一条)、石油の需給調整を図る手段として、石油供給計画(三条)、石油精製業の許可(四条)、特定設備の新増設等の許可(七条)、石油製品生産計画の届出、同計画の変更の勧告(一〇条)、石油輸入業の届出、石油輸入計画の届出、同計画の変更の勧告(一二条)、事業者の報告の徴収(二一条)等に関する規定を設けている。

石油供給計画は、通産大臣が毎年度当該年度以降の五年間について、需給事情その他の経済事情を勘案して定めるもので、わが国全体の原油及び石油製品の生産数量及び輸入数量、特定設備の処理能力等を内容とし、同大臣が石油審議会に諮問した上(石油業法一七条)、毎年度開始前に(同法施行規則四条)告示することになつており、通産省の設備新増設の許可、石油製品輸入の割当等の行政の基準となるとともに、石油業者がこれを事業活動の指針とすることが法律上期待されているものである。石油精製業者は、供給計画告示一カ月以内に(同法施行規則一〇条)石油製品生産計画を通産大臣に届け出ることを義務づけられているが、右計画の作成については、供給計画の示す当該年度の生産数量が指針となるのである。そして、通産省が届出を受けた石油製品生産計画を調査して、右生産計画に従つて生産が行なわれるときは、需給事情その他の事情により供給計画の実施に重大な支障が生じ、又は生ずるおそれがあると認めるときは、通産大臣は、石油審議会に諮問した上(同法一七条)、石油精製業者に対し生産計画を変更すべきことを勧告することができることとされている(同法一〇条)。

3 需給計画及び生産計画

石油供給計画は、石油需給計画に基づいて策定される。(法律上の供給計画にその基礎となる需給計画を併せて供給計画と呼ぶこともある。)需給計画の主要な基礎となるのは、需要見通しである。通産省は、毎年一、二月石油連盟の需要専門委員会に協力を求めて需要予測作業を行ない、その結果を需給計画の資料とするのを例としている。

国内需要の見通しに輸出計画量及び期末在庫計画量を加え、期初在庫量を減じたものが必要供給量(生産量と輸入量との和)であり、需給計画は、各製品の必要生産量及び必要輸入量並びに原油処理量を定め、需給の均衡をはかるものである。通産省は、ガソリン(揮発油)及びナフサ(輸入計画量を除く。)の必要生産量に基づき、その合計得率(昭和四七年度供給計画では23.0、昭和四八年度供給計画では23.1)を用いて原油処理量をきめ、これから燃料油合計生産量をその得率(右各供給計画では92.0)を用いて算出していた。ただし、ナフサの輸入量を加減することによつて右の原油処理数量を加減し、必要な中間留分(灯油、軽油、A重油)が生産されるようにして、不足するA重油及びC重油は輸入を認めることにしていた。

石油製品生産計画は所定の様式によつて届け出ることとされているが、その様式によると、燃料油の油種は揮発油(航空機揮発油、自動車揮発油高級、同なみ級、その他)、ナフサ(石油化学用、その他用)、ジェット燃料油、灯油、軽油、重油(A重油、B重油、C重油)に区別され(かつこ内は細分)、燃料油以外の製品(副製品)は石油ガスだけ記載するようになつている。以上の製品別に期初在庫、生産、出荷、期末在庫の各数量を記載し、更に生産計画内訳として生産量を内需向け、輸出向けに分け、それぞれについて自社分と受託分(他業者から委託を受けて生産する分)とに区別して記載する。このほか原油需給計画を作成する。これらの表を製油所別及び合計並びに上期(四月―九月)、下期(一〇月―三月)及び年度間のそれぞれについて作成し、届け出ることとされている。

生産計画は前述のとおり毎年度一回届け出ることとされているが、通産省は毎年度下期を迎えるにあたり需要見直し、下期輸入計画の策定等を行ない、下期の需給計画を作成するのが通例で(いわゆる供給計画の見直し)、これに伴つて精製業者にあらたに生産計画を作成させ、生産計画変更の届出をさせていた。また、需要動向に著しい変動が生じたときは、期中に需要見直しを行なうことがあつた。

二石油業界における競争

1  石油製品の市場

石油連盟の会員のうち石油精製業を営む前記二四会社は、沖縄県を除くわが国における石油精製業者の大部分を占めており、本件各行為当時非会員である石油精製業者としては、共同石油グループ(五節一2)に属するアジア共石株式会社、中部電力株式会社尾鷲三田火力発電所へのC重油の供給を主とする東邦石油株式会社(東邦)、潤滑油の製造を主とする富士興産株式会社(富士興)及び国産原油のみを処理する帝石トッピングがあるだけであつた。前記二四の会員会社にアジア共石を加えた二五会社の原油精製設備能力(常圧蒸留装置の設計能力)の合計及び原油処理実績の合計は、いずれも沖縄県を除くわが国におけるそれらの全体の九七パーセント余りを占めていた。

石油製品は、原油を精製して製造される連産品であり、その種類は数多く、その種別に従つて用途、需要先、販売形態も多様である。そのうちの主要な製品である燃料油の種類は前記生産計画の様式に定められているとおりであるが、法律により、また商品として更に細分される場合もある。副製品としては、液化石油ガス、各種の潤滑油、グリース、パラフィン、アスファルト、硫黄などがある。

しかし、沖縄県を除くわが国で販売される石油製品、特に燃料油の大部分は、その源においてわが国の石油元売業者が販売している。例外としては、精製業者が直接他産業に石油築品を供給するコンビナートの場合などがある。元売業者としては一四の会社があり、いずれも石油連盟の会員で、そのうち八社は前記のとおり精製業を兼ねている。精製専業者は特定の元売業者と提携し、それに製品を売り渡すのを原則としている。たとえば、東亜燃料工業は、自社の製品全量をエッソ・スタンダード石油株式会社及びモービル石油株式会社にほぼ半分ずつ売り渡している。元売業者のこのような地位については法令に根拠はないが、通産省の行政指導もあつて、右のような業界体制が形成されているのである。

元売業者は、通常その特約店を通じ、更に系列下の販売店等を通じて石油製品を販売し、また大口需要家に直接これを販売する。その他、全国漁業協同組合連合会、全国農業協同組合連合会等に販売し、また商社に販売する場合もある。各元売業者が販売する製品の種類、品質はほとんど同一であり、販売地域については制限がなく、各元売業者ともほぼ全国的に販売している。したがつて、沖縄県を除く国内のほとんどすべての需要者(販売業者を含む。)に対し二以上の元売業者が直接に又は特約店を通じて同種の石油製品を供給することができる状態にあるので、元売業者間には常に販売競争の可能性があり、各元売業者はより多く販売し、販路を拡げ、収益を増大させようと努力している。したがつて、その競争の行なわれる市場が形成されている。石油製品の市場は、製品の種類ごと又は需要者の種類ごとに、また取引段階ごとにも大小の地域別にも存在するが、右のような流通機構の性格上、沖縄県を除く国内の元売業者間の競争が行なわれる全体としての石油製品市場もまた存在し、これをひとつの取引分野として把握することができる。

2  通産省による競争の制限

石油業界における精製設備建設並びに生産及び販売の競争は、石油業法による規制及び通産省の行なう行政指導によつて、多くの面で制限されている。

即ち、石油精製業を行ない、特定設備を新設、増設又は改造するには、いずれも通産大臣の許可を要し、その許可については法定の許可基準があり、また許可には条件を付することができる(業法四条、六条、七条、二〇条)。これらの規定によつて石油精製業の新規参入は厳しく制限され、精製業者の特定設備(常圧及び減圧蒸留装置、石油改質装置、石油分解装置)は量的、質的に制限されている。

また、通産省は、石油業者に対し、右の規定の運用として、又は右の権限を背景として、次のような行政指導を行なつている。

イ、設備新設の際の特定元売業者との販売提携の指導

ロ、海外開発原油引取り量の割当、国産原油の引取り指示

ハ、自主選択権を拡大する原油購入計画の指導

ニ、ガソリンの生産設備規制(例えば富士興産、東邦石油、帝石トッピングにはガソリン生産のための設備を認めていない。)

ホ、新増設備の稼働制限及び稼働繰延べ(後述四節五7)

ヘ、石油製品輸入量の制限及び割当(重油は関税定率法による割当により、ナフサは行政指導による。)

ト、製油用重油の輸入制限

チ、輸入業者新規参入の制限

リ、沖縄県からの製品持込みの制限(後述四節五6)

ヌ、給油所設置の制限及び割当

これらのほか、通産省は、前述の石油供給計画制度により需給調整を行なつているが、その需給調整についても通産省は、後に述べるとおり前記の権限及び勧告制度を背景として、生産活動を監視し、その時々の需給事情に応じ種々の方法による行政指導を行なつている。

したがつて、石油業界における競争は、これらの法的規制及び行政指導による制限の枠内で行なわれているのである。

第四節石油業法下における生産調整の推移

一石油業法の制定

石油業法は昭和三七年五月一一日に公布され、同年七月一〇日から施行されたが、同法制定の契機となつたのは、同年一〇月から実施されることになつた原油輸入の自由化であつた。その当時まで、通産省による石油業の規制は、主として外貨の割当制度を手段として行なわれてきた。即ち、通産省は、原油及び石油製品の輸入に必要な外貨資金を業者に割り当てることによつて石油の需給調整を行なつていた。更に国内精製主義の推進、過剰設備投資の抑制、海外開発原油の引取り確保などの政策にもこの制度を利用してきた。ところが、政府の貿易自由化促進政策の一環として、昭和三六年九月には昭和三七年一〇月から石油の輸入を自由化する方針が決定されるに至つた。(その後、燃料油の輸入自由化は当分見送られることになつた。)そこで政府は、外貨割当制度に代り石油業の事業活動の調整を可能とする何らかの立法の必要に迫られ、石油業法を立案することになつた。

石油業法の立案に当つては、統制法的な色彩を避け、事業者の自主性を尊重しながらも、石油業を一定の程度国の政策の支配下に置くことが考慮された。当時わが国では、石油の需要が急速に増大すると同時に、精製設備の増加もめざましく、原油輸入の自由化を見越しての設備新増設も見られた。一方、海外では新油田の開発などにより世界的な原油の供給過剰傾向が生じ、わが国に対する原油の売り込み競争も盛んであつた。したがつて、原油の輸入が自由化されたときは、わが国における石油の精製設備及び生産、販売の過当競争が激化し、需給の混乱、特に生産過剰に起因する乱売が生ずるおそれがあつたため、政府は設備建設の規制や石油製品の供給量の調整を必要と考えた。また、原油輸入自由化の結果、長期的には大企業による資本の集中が行なわれ、外国資本系の石油企業が一層強大となつて市場を支配し、原油購入の自主性も失われることを懸念して、政府は、石油業法を利用していわゆる民族資本系企業を育成強化し、石油業を国が相当程度管理できるようにする意図をもつていた。

このような事情から、通産省は、「エネルギー懇談会」を設けて石油政策の検討を求め、また石油連盟をはじめ関係各界の意見を求めてこれを参考とした上、一部大手石油業者に反対はあつたものの、石油業法案を作成し、同法案は昭和三七年五月四日第四〇回国会において可決成立した。

石油業法の前述のような規定は、当然独占禁止法ないし独占禁止政策との関係について疑問を生ずるものであつた。しかし、同法の立案過程で、通産省と公正取引委員会との間の法令調整は、昭和三七年一、二月ごろ事務当局段階で比較的簡単に行なわれたにすぎなかつた。公正取引委員会は、同法案について、事業の許可制等が自由競争の基盤たる自由企業体制に与える影響、販売価格の標準額の決定が競争価格に及ぼす影響等について独占禁止政策上問題があると考えたが、石油業界の実情から見てやむを得ないものと判断し、通産省又は国会に対し特に意見を述べなかつた。

二供給計画実施に関する通産省の方針

石油供給計画の意義については前に述べたが、それは通産省が望ましいと考えるわが国全体の計画数量を示すだけであつて、個々の石油精製業者に対して生産数量を指示するものではない。したがつて、石油業法制定当時におけるわが国の精製業者の設備能力、競争志向などから見て、各精製業者が自由に生産計画を立てるならば、全精製業者の計画数量の合計が供給計画の数量を超過することが容易に予想された。このような事態に備えて生産計画の変更勧告の制度が設けられているのであるが、これも「勧告」にとどまるから、その内容を法律上強制する途はない。また、この勧告には法律上要件と手続とが定められており、それの及ぼす影響も大きいと考えられるから、安易に行なうことができるものではない。通産省は、始めから勧告権は伝家の宝刀として軽々しく発動しないという方針をとつており、今日まで一度も発動されたことがない。

しかし、石油業法制定にあたり通産省は、その行政目的を達成するため生産計画の合計を供給計画と一致させる必要があると考え、これを一致させる方策として業界における自主的な話し合いによる生産量の調整を期待し、業界ないし石油連盟に対しそのように行政指導を行なう考えであつた。このことは、当時の通産省担当官の次のような発言等にも現われている。

石油業法案を審議した第四〇回国会衆議院商工委員会において、通産省鉱山局長川出千速は、昭和三七年三月二三日長谷川四郎委員の質問に対し「勧告をする前に自主的な話し合いはどうかということでございますけれども、これは極力精製企業の自主性を尊重したいという精神でこの業法を運用したいと考えております。従つて勧告は特別の場合ということになるかと存じます。」と、また同年四月一〇日板川正吾委員の質問に対し「生産割当をしていくというような考えは持つていないわけでございます。企業の立場から見れば、政府がそういう見通しを持つておる、それに対してどのくらい協力するかという点は、これはまた別問題と申しますか、行政指導の問題にもなるかと思いますが、政府としては、なるべくその点は業界ともよく話し合いをした上で、その見通しを立てたいと思います。」と答弁した。通産大臣佐藤栄作は、同日同委員会において、同委員の「勧告に応じないでみな競争を続けていつた場合にはどういう措置を考えているのか」という趣旨の質問に対し「勧告が適正に行なわれる場合には、必ず業界も納得してこれを聞くと思います。」「いわゆる自主的な話し合い、これがまず第一でございましようが、その自主的な話し合いがつかないものについて、政府は行政指導的な立場において協力を求める、こういう実は考え方でございます。」と、また伊藤卯四郎委員の質問に対し「まず業界の自主的な調整あるいは自主的な協力、これを第一段階としては強く要望し、これによつて目的を達すればもうそれでけつこうだ、かように実は考えておる次第でございます。」と答弁した。

石油業法の施行に際し通産省鉱山局長は、石油連盟にあてて「本法の適切な運用が行われるためには、石油業界における自主的協力の果たす役割が極めて大きいことは言をまたないところである。貴連盟におかれては、この趣旨を十分に御了解のうえ、貴連盟傘下の各事業者にもこの趣旨を完全に徹底方図られるようお願いする。」旨を同年七月一二日付文書で要請した。

しかし、以下に述べるように、実際には、業界の「自主的な話し合い」による「自主的協力」を得るためには通産省の強力な指導ないし直接的介入が必要であつた。これらの行政指導は、通産省が背後に設備許可や生産計画変更勧告の権能を持つていることによつて有効に機能した。

三石油業法施行後昭和四一年度上期まで

1  昭和三七年七―九月

昭和三七年七月一〇日の石油業法施行後も、同年九月末までは原油輸入資金の外貨割当制度が存続していた。しかし、同年六月に石油精製業各社が通産省(鉱山局)に提出した七―九月分の生産計画によると、原油処理量が通産省の需給計画を大幅に上回つた。そこで通産省は、石油製品の供給過剰を防止するため輸入原油の処理量を制限することとし、その算定方式について石油連盟に検討させた上、同年七月三〇日各社の七―九月の輸入原油指示処理量の算定基準を指示した。これによると、各社合計の原油処理可能量は生産計画と対比して5.4パーセントの削減となつた。このように個々の精製業者の原油処理量ないし生産量を一定の基準に基づいて制限することを通産省及び業界では「生産調整」と呼んでいた。

2  昭和三七年度下期

石油業法に基づく最初の石油供給計画は、昭和三七年七月二五日に告示された。通産省は、精製業者が同法による生産計画(業法計画と呼ばれることもある。)の届出をする前に、業界の動向を打診するため、各業者から石油連盟に昭和三七年度下期の計画案を提出させたところ、その計画の合計は原油処理量において供給計画を二五パーセントも上回るものとなつた。これは、水増し計画が含まれていたことにもよるが、この状態を放置すると、過剰生産の結果過当販売競争による市況の混乱が生ずるおそれのあることを示していた。通産省は石油審議会に諮つた上、石油連盟に生産調整を依頼したが、調整の基準について業者間に意見の対立があり、容易にまとまらなかつた。そこで通産省は、行政指導による自主調整という方法をとり、石油連盟の了解を得て一定の基準を示し、これに基づいて生産調整を行なわせることにした。この通産省の行政指導により、石油連盟は同年一〇月二日昭和三七年度下期の生産調整を決定した。その生産調整は、供給計画を基礎とし、内需用輸入原油、即ち原油総処理量から国産原油処理量のほか輸出用原油処理量(燃料油輸出計画量を0.95で除した量)を控除したものを対象とするものであつた。これを精製業を営む各会社又は関連会社のグループに配分したが、その配分の基準は、各社又はグループの全体の中で占める燃料油販売実績比率、輸入原油内需用処理実績比率、当期加重平均設備能力比率をそれぞれ三分の一ずつ取つて合成した比率(いわゆる三本柱)を基本とするものであつた。各精製業者は、配分された処理量に基づいて生産計画を作成し、届け出た。このような生産調整の方式は、その後本件各行為に至るまで、基本的には踏襲されて行つた。

昭和三七年一一月一〇日、低迷していた石油製品の市況を改善するため、通産省は自動車用揮発油及びC重油の標準価格(業法一五条)を告示した。

また、石油化学原料用ナフサ等の需要が増加したため、昭和三八年一月二二日通産省の需給計画が改定され、原油処理枠が六パーセント増加したので、この増加分も追加配分された。

3  昭和三八年度上期

昭和三八年度上期にも、通産省の行政指導により石油連盟が生産調整を行なつた。この期には、ガソリンの生産に多く向けられ易いナフサの供給を石油化学原料用に低価格で確保することが重要な課題となり、石油連盟は、通産省の行政指導によつて石油審議会会長植村甲午郎のあつせん案に従い、石油化学用にナフサを供給する会社に対し、前年同期に対するナフサ供給増加分と同量の原油を特別対策分として外枠で配分し、その合計量を一般の配分対象となる内需用処理量から控除した。配分量は、前期の最終的配分量に一定の延び率を乗じてきめた。また、前期に配分量を超えて処理を行なつた会社は、今期の配分量からその超過分を差し引くものとされた。

4  出光興産脱退問題

昭和三八年度下期にあたり、以前から生産調整に不満をもつていた出光興産及び大協石油はこれを行なうことに反対したが、通産省の強い指導により石油連盟は昭和三八年一〇月四日生産調整を決定した。その内容は、前期配分量に当期処理量増加分を三本柱の比率で配分した数量を加算するというもので、当年度における新増設能力は極めて僅かしか評価されていなかつた。なお、石油化学用ナフサ生産量と同量の原油処理量が全部配分の外枠とされることになつた。

出光興産は、昭和三八年中に千葉製油所が稼動を開始し、一日一〇万バーレルの精製設備能力(常圧蒸留装置の一日当り設計能力BPSDで示す。以下同じ。一バーレルは約158.93リットル)が増加したのに、その設備を十分稼働させることができないことを不満として、生産調整に従わず、独自の計画を立ててこれによる原油処理を進め、石油連盟の説得にも応ぜず、同年一一月一二日には石油連盟に脱会届を提出するに至つた。通産省当局者及び石油審議会会長も出光興産に対し繰返し生産調整に協力するよう説得したが、出光はこれに従わず、昭和三九年一月九日開かれた第一三回石油審議会の議に基づく同会会長のあつせんも不調に終つたが、通産省が石油業法による勧告を行なう方針を示したためようやく出光も歩みより、同年一月二五日通産大臣福田一、石油審議会会長植村甲午郎、出光興産社長出光佐三の三者会談において、将来過剰設備能力をなくするよう改善し、その時には生産調整は廃止する、昭和三九年一―九月の生産調整は新基準によつて行なう(出光は増枠になる。)など、ある程度出光の主張をとり入れたあつせん案を同社は受諾し、生産調整を厳守することを約束した。ただし、同社は昭和四一年九月まで石連に復帰しなかつた。出光興産は、この事件に関して、後に昭和四一年度の通産省の設備許可に際し制裁的な意味合いの不利益な取扱いを受けた。

これより先、昭和三八年七月八日開かれた第一一回石油審議会において、通産省鉱山局長は、「昨年一〇月の原油自由化までは外貨割当の操作により需給調整を行なつてきたが、自由化後は石油業法の下においていかにして需給調整を行なうかが新たな課題となつている。その際、我々としては、業界の自主調整が最も妥当であると考えている。石油業界でもこの線に沿い石油連盟を中心にして生産調整の相談を進めてきた。」「出光興産だけは、あくまでも販売実績でやるべきであるという立場をとり、独自の案で生産計画を出して来ている。)「今はまだその段階には至つていないが、勧告をせざるをえないような事態があるいは起きるかもしれない。」と述べた。また、同年一二月一七日開かれた第四五回国会衆議院商工委員会石油及び天然ガスに関する小委員会で、通産省鉱山局長加藤悌次は、「国内での石油全体の供給量はぴつたりと供給計画に合わせることが必要ではなかろうかということでございまして、石油連盟を場にいたしまして全体の生産計画を供給計画に合わせてほしい、しかも、そのトータルを個々の精製業者に対してどういうふうに配分するかということにつきましては、ひとつ連盟の自主的な話し合いで基準を立ててやつてほしいということになつておるわけでございますが、この基準につきまして、連盟のメンバーの中でそれぞれ意見の食い違いがあるわけでございます。」「最近新しい設備の稼働が始まりました一、二社について相当文句が出ておるわけでございます。現在は一社でございますが、この基準について非常な御不満がございまして、最近連盟を脱退するというふうなあまり好ましくない事態になつておりまして、私ども非常に遺憾に存じておるわけでございます。」と述べた。

昭和三九年一月九日の前記第一三回石油審議会において、植村会長は、「業界内部で自主調整というのが大方針であり、これが最もスムースな方法であるが、出光がこれを脱退したので、我々としては遺憾に考えている。出光氏の議論を伺つていると、生産調整不要論というような方向の議論もあり、そうなると相当根本的な問題となつてくるが、現在の法律のある建前からいかがなものかと考えてよかろう。新設備が完成し、能力が急増した場合、この能力を既存のものと同様に扱い一〇〇パーセント利かして配分の計算を行なうということについてはいかがなものであろうか。ややならして考慮してゆくべきではないかということも考えられる。」と述べ、土屋清委員は、「石油の場合は鉄とは事情が異なり、石油業法があり、石油供給計画の決定、生産計画の届出、供給計画実施のための勧告等法的な裏付けがある。その場合各社の生産計画をどう決めるかという点で自主調整という問題が出てきているのであり、これは独禁法違反でもないし、生産調整が不必要だということにもならない。」と発言した。

5  通産省による生産調整

出光興産脱退問題が妥結したので、石油連盟の生産調整は昭和三八年一二月で打ち切られ、以後通産省が新たな基準によつて直接生産調整を行なうことになり、同省は昭和三九年一月二五日同年一―九月の生産調整の基準及び配分量を指示し、石油審議会もこれを了承した。配分の対象は、従来どおり内需用輸入原油処理量から石油化学用ナフサ生産量と同量の原油処理量を差し引いた処理量で、これは一般内需用輸入原油処理量と呼ばれた。配分比率は従来どおり三本柱であつたが、そのうちの設備能力比率は、昭和三九年一―九月「調整平均能力比率」が用いられ、石油業法施行後の新増設設備の能力を稼働第一期目に五〇パーセント評価し、以後段階的にその率を高めて行くこととされた。

昭和三九年二月一四日出光問題などを審議した第四六回国会衆議院商工委員会において、通産省鉱山局長加藤悌次は、石油業法の下で従前行なわれてきた生産調整について「生産調整とはいいますが、私どもからいわせれば、これは供給計画に各社の生産をトータルして合わせていただく、そういう計画生産的な考え方で各社の原油処理をやつていただくということで、自主調整とはいつておりますが、実は相当役所が中に介入をいたしまして、またその全体の枠の配分につきましても、ある程度役所のほうからの意見も申し上げまして、いままでずつとやつてきたというのが実態であるわけでございます。これは法律にはその規定がなくて、全く御指摘のように行政指導ということでやつておるわけでございますが、実はそういういきさつでやつてまいつておりますので、決して一般から誤解されるような、役所とは別に、石油精製業者だけの場で、自分たちの利益を中心にして生産の調整をやつているという性格のものではないということをひとつ御了承願いたいと思います。」と述べた。

業界は通産省の生産調整の下で自粛生産に努めたが、市況は悪化の一途をたどつた。通産大臣福田一は、この事態にかんがみ、昭和三九年四月一日「最も遺憾なことは、例えば行政指導の下に石油業法運用の一環として行なつている生産調整についても、各社間のかけひきや思惑が多く、石油業界全体の安定を希求する協力的態度に乏しいことである。これが生産調整の遅延、違反を生じたり、あるいは所期の効果を失わせたりしているものと考えられるので、この際業界各社におかれては、心機一転、一致協力して過度のシェア意識に基づく過当競争を排除し、生産調整と標準価格を遵守して、石油業の果すべき社会的責任の遂行に万全を期すべく決意を新たにされるよう強く要望する。」旨の談話を発表した。

昭和三九年度下期にも、通産省は石油審議会の了承を得て概ね前期と同様の方式による生産調整を指示した。これは年度当初の供給計画を基礎とするものであつたが、下期に入るとガソリンの需要の伸びの鈍化及びC重油の需要の大幅な増加傾向が顕著となつた。そこで通産省は、石油審議会に諮つて昭和三九年一二月一八日供給計画中昭和三九年度分の変更を告示した。その内容は、一般内需用輸入原油処理量を5.8パーセント削減した上、ガソリンの生産量を減らし、C重油の輸入量を増加するなどしたものだつた。これに伴い生産調整のための配分量も修正され、昭和四〇年一―三月の各社の生産計画は生産の減少となり、需給は次第に正常化した。

通産省による生産調整は、その後昭和四一年度上期に至るまで毎期ほぼ同様の方式で行なわれた。昭和四一年度上期には、昭和四一年三月二四日の石油審議会の決定により同審議会名義でこれが行なわれた。

四昭和四一年度下期から昭和四三年度上期まで

1  生産調整の廃止

昭和四一年になると、精製設備の稼働率がかなり向上し、石油製品の市況も回復してきた。同年二月一五日には標準価格が廃止された。このころから、物価問題に関する世論の高まりや鉄鋼業界に対する勧告操短の廃止に見られるような自由化の情勢などを背景として、石油行政も生産調整の廃止について検討を迫られるようになつた。同年五月通産大臣三木武夫は、事務当局に生産調整撤廃の時期を検討するよう指示した。業界では、出光興産がかねてから生産調整の廃止を主張していたほか、日本石油のような大手業者は概して廃止に賛成であつたが、反対意見もかなり強かつた。しかし、通産大臣は生産調整の廃止を石油審議会の審議にかけるよう指示し、同年九月二日同大臣及び通産省鉱山局長両角良彦がこれに関する発言を行なつた。通産省は、同月一六日石油審議会の了承を経て同年一〇月から生産調整を撒廃する旨を決定した。これによつて出光興産は石油連盟に復帰した。

右鉱山局長の発言要旨は、次のとおりである。

「一、昭和四一年度下期の生産調整については、昨年来石油製品価格動向も一応安定しており、各社の経理状況もおおむね改善されつつある現状よりみて、生産調整は、この際打ち切ることとしたい。

二、したがつて、下期からは各社が自主的判断に基づいて生産計画をたてて、生産を行なうことになるが、いたずらにシェア拡大のための増産競争を行ない市況混乱をまねかないように、厳に慎しまれたい。

三、通産省としては、エネルギーの大宗をしめる石油製品の安定供給確保の見地から、各社の生産計画が供給計画と著しく異なり供給計画の遂行上重大な支障があると考えられるときは、石油業法上の必要な措置をとることも当然ながら考えている。

しかし、こういうことにならぬよう業界としては、エネルギー供給者としての社会責任を十分自覚して行動して欲しい。

四、特に指導的立場にある大手メーカーは、この際大乗的見地にたつて、あらゆる面での協力を中小メーカーにすることを期待する。

五、なお、生産調整の廃止に当つて、規律ある生産を実現するため、

(1)  石油業法上の設備許可の現行基準は、別途石油審議会に諮り、所要の修正を加えること、また、既許可済設備の繰上げ稼働は認めないこと。

(2)  地下カルテル的行為は認められないこと。

(3)  各社の生産実績を徴収することにより、供給計画遂行のウォッチ体制をとること。

等を通産省としては考えていることを申し伝える。」

また、前記通産省大臣談話中には「かりに、各社がシェア拡大のため増産競争を行ない、これにより三八年当時のような乱売事態がおこれば、石油業法上の措置も当然考えなければならなくなる。しかし、業界もエネルギーの大宗をしめる石油の供給者としての責任を十分自覚し、そういうことにはならないことを期待している。」と述べられていた。

右各発言自体からも明らかなように、通産省は、生産調整撤廃を決定したのであるが、この措置によつて事業者の自由な判断に基づく生産活動と自由な競争を促進することを意図したのではなく、これまでと同様に、増産競争によつて市況の混乱を招くことがないように「規律ある生産」が行なわれることを期待し、業界の社会的責任に訴え、また事業者に対する生産動向の監視を強めることによつてこのことを実現しようと考えたのである。そこで通産省は、石油業法二一条により、各精製業者から製油所別の原油処理、生産実績等を毎月報告させることとし、また従前からあつた生産調査委員会を改組し、実務者をその構成員として生産動向の早期把握に努めることにした。しかし、それだけで「規律ある生産」を実現することはできなかつた。

2 昭和四一年度下期

通産省は、昭和四一年九月、精製業各社が昭和四一年度下期の生産計画変更届を提出する前に、各社から予備的に計画案を提出させたところ、その計画生産量の合計が供給計画の数量を約一〇パーセント超過していた。そこで同省鉱山局石油計画課長平松守彦は、石油連盟会長の三菱石油社長藤岡信吾及び石油連盟需給委員長の大協石油常務取締役中山善郎に対し、各社の生産計画の合計が供給計画に合うように各社を説得してまとめてもらいたい旨依頼した。その結果、三菱石油常務取締役西本竜三、同社輸入課長中島芳博及び右中山は、従前の三本柱の基準を基本として各社又はグループに対する原油処理量の分配量を定め、これに従つた生産計画を提出するように、手分けして各社を回つて依頼した。通産省の生産調整廃止決定直後だつたため、各社はなかなかこの依頼に応じなかつたが、同人らは通産省の依頼である旨を告げて説得し、結局各社は同年一〇月にはいつてから、通産省の満足するような生産計画変更届を提出した。

3 昭和四二年度上期から昭和四三年度上期まで

昭和四二年度上期には、通産省の指示により業法計画提出前に石油連盟が各社から生産計画(業法に基づくものではない石連あての計画)を提出させた。これを集計した結果は供給計画を僅かに上回るだけだつたので、同省はその数字で業法計画の届出をすることを了承した。それで、この期には生産調整は行なわれなかつた。

同様の経緯で、昭和四二年度下期及び昭和四三年度上期にも生産調整は行なわれなかつた。

このように右の期間生産調整が行なわれなかつたのは、需要の増加が著しく、昭和四二年度の需要の伸び率は前年度比二〇パーセントを超えるほどだつたこと、しかも同年度に新規稼働する設備が少なかつたことによるのである。もとより通産省は、生産動向を監視するとともに、重油輸入の割当及びナフサ輸入についてのいわゆるヒヤリング(事情聴取)を経ての行政指導によつて輸入量を加減し、需給調整を図つていた。

五昭和四三年度下期から昭和四七年度上期まで

1  昭和四三年度下期

イ 昭和四三年度下期には、関西石油、富士石油、極東石油工業の新規精製業三社の設備合計一日一九万バーレルを含む新増設設備合計一日四一万三千バーレルが稼働を開始した。需要は引き続き増加していたが、その伸び率は鈍化することが供給計画で予測されていた。

石油連盟は、通産省(鉱山石炭局)の依頼により昭和四三年七月末ごろ精製業各社から下期の石連あて生産計画を提出させ、同年八月五日付でこれを集計したところ、燃料油生産量が供給計画を大幅に上回つていた。石油連盟の需要専門委員会が通産省の指示により同年八月に行なつた需要見直し作業による下期の内需を前提としても、右八月五日の計画では下期末燃料油在庫が一四〇三万七千キロリットルとなり、供給計画の予定する下期末在庫七七八万四千キロリットルと比べて過大だつた。そこで通産省は、同年九月石油連盟に条件を示して下期の需給実勢見通し及び適正需給計画の作成を依頼し、同連盟事務局業務部需給課は同年一〇月二日これらを作成して通産省に提出した。このうち「適正計画」では製品輸入量を大幅に減らしてあつたが、それでも燃料油計画生産量を二〇〇万キロリットル以上削減する必要を示していた。

このような情勢を見て通産省は行政指導に乗り出すこととし、同年一〇月八日開催された石油連盟需給委員会に同省鉱山石炭局石油業務課長小幡八郎、同課需給班長武田昭二らが出席し、各社に対し生産量を削減した業法計画変更の届出を要請した。その際特に数量は示さなかつたが、合計数量が前記適正計画に合致する計画を提出せよという趣旨であつた。そこで石油連盟需給委員会委員長加藤正は、かつて通産省が行なつていた生産調整とほぼ同様の方式で、右適正計画に示された原油処理量のうち一般内需用輸入原油処理量を一定の基準により各社又はグループに配分することとした。そして配分基準につき各社の意見を求めたが、各社の利害が異なるため意見が一致しなかつたので、これらの意見を総合していわゆる四本柱の基準を考案した。それは、各社又はグループについて全体に対する販売実績比率(構成比)を五〇パーセント取り、更に右販売実績比率、ガソリンの販売実績比率、原油処理実績比率、設備能力比率の四つのうち各自が選択する二つのそれぞれ二五パーセント取り、これらを合成して作つた比率によるものである。同委員長は、需給委員会の審議を経て右比率で一般内需用輸入油処理量を配分し、各社が配分を受けた処理量に基づいて業法による生産計画変更届を作成提出するよう指示した。しかし、東亜燃料工業がこれに従わなかつたことなどのため、適正計画と一致する計画は得られず、同年一〇月二九日付で集計された各社の変更生産計画では、燃料油生産量合計は八月五日付計画比六七万キロリットルの減にとどまつた。しかし、これに基づく需給見通しでは、通産省が製品輸入量を約二八〇万キロリットル削減したことのほか、期初在庫の減少、内需の増加もあつて、期末在庫は八七二万キロリットルにとどまつた。同年一〇月二九日前記小幡課長、武田班長らは再び需給委員会に出席して右の需給見通しを説明し、全体として需給は安定化の方向にあると述べて各社の変更計画を了承した。

ロ 右に述べた原油処理量の配分は、加藤委員長主宰の下に需給委員会において審議、決定されたのであるが、その委員会の会議は、需給委員全員は出席せず、各精製会社又は各グループを代表する会社の需給委員だけが出席することを原則とするものであつた。このような形態の会議は昭和四九年ごろから開かれており、関係者の間で「需給常任委員会」又は単に「需給常任」と呼ばれていた。これは定款その他の規定に明記された会議ではないけれども、正規の需給委員会の会議の一形態であり、昭和四三年度下期以降、原油処理量に関する生産調整は需給常任において審議、決定するようになり、その決定は更に理事会等にかけられることなく、そのまま石油業界において石油連盟の決定として通用していた。

2  昭和四四年度上期

昭和四四年度上期にあたつても、石油連盟は通産省の依頼によりあらかじめ精製業各社から石連あての生産計画を提出させたが、これを集計した結果はやはり供給計画を大幅に上回つていた。そこで石油連盟は需給常任において供給計画に基づき前期と同様に四本柱の比率で一般内需用輸入原油処理量の配分を行なつた。しかし、昭和四四年四月下旬通産省に届け出られた生産計画の集計結果は供給計画と一致せず、燃料油生産量合計がこれを約三五四キロリットル上回つていた。それでも通産省が製品輸入量を約一八〇万キロリットル削減し、また輸出計画が供給計画を約一七〇万キロリットル上回つたことにより、通産省の需給見通しでは期末在庫が供給計画を下回つた。同月三〇日同省鉱山石炭局石油業務課の需給班長武田昭二及び石塚稔は、石油連盟の需給委員会に出席し、各社に計画を守つてもらうよう今後チェックして行く旨を述べた。

このようにして、石油連盟は、昭和四三年度下期以降、精製業各社の届け出る業法計画又はその変更計画の合計を供給計画又はその見直し計画に合致させるために、原油処理量に関し再び生産調整を行なうようになり、それは前述の需給常任で審議、決定され、そのことが次第に慣行化して行つた。通産省鉱山石炭局の担当官は、この生産調整を利用して石油の需給調整の任務を遂行していたのであり、そのことは年を経るに従い次第に日常事務化して行つた。

3  昭和四四年度下期から昭和四六年度下期まで

昭和四四年六月一〇日被告人脇坂が加藤正に代つて石油連盟需給委員会委員長に就任し、昭和四四年度下期分から生産調整の業務を引き継いで担当することになつた。以後昭和四八年度上期に至るまで、同被告人の主宰の下で、前記需給常任(即ち石油連盟)は、毎年度半期ごとに国内の石油精製業者に対し生産調整を行なつてきた。

昭和四四年度下期には需要が伸びたため、石油連盟は需要見直しにより増加した内需量を用いて適正需給バランス(石油連盟の需給計画)を作り、これに基づく所要一般内需用輸入原油処理量を上期の方式を踏襲して配分した。

昭和四五年度も需要の伸びが予測を上回つたので、上期下期とも石油連盟は供給計画より多い数量を用いて生産調整を行なつた。もつとも、同年度には全社に対する配分は行なわず、石油連盟があらかじめ提出させた生産計画による一般内需用輸入原油処理量の合計が適正需給バランスを超えた分について、被告人脇坂及び需給副委員長小貝谷らが大手数社を回り、計画の削減を依頼して調整を行ない、被告人脇坂はこれを需給常任に報告してその了承を得た。

昭和四六年度上期には、石油連盟は供給計画の数量を用いて一般内需用輸入原油処理量の配分を行なつた。

昭和四六年八月に米国政府がとつた一連のドル防衛措置の影響、いわゆるドルショックによりわが国の経済活動は停滞し、石油製品需要の伸び率も減退した。そこで石油連盟は同年度上期の配分量を削減し、同年度下期には需要見直しの際相当多量の削減が行なわれ、石油連盟が適正需給バランスを作り、一般内需用輸入原油処理量の配分を行なつた。この期には、通産省の了承の下に石油連盟があらかじめ生産計画を提出させることをせず、始めから原油処理量を配分して、これに基づき業法による生産計画変更届を通産省に提出させた。

被告人脇坂が需給委員長に在職中の上記期間中、通産省鉱山石炭局石油業務課長斎藤顕及び同課需給班長武田昭二は、需要の動向、輸入、在庫、適正需給バランスの作成等、需給調整に関する諸問題についてしばしば同被告人をはじめ石油連盟事務局業務部長、同部需給課長らから意見を聞くとともに、その協力を求めて職務を行なつてきた。武田班長は、同被告人らに対し日ごろ精製業各社が供給計画又はその見直しに適合する生産計画を届け出るよう要請していたが、このことが石油連盟の需給常任委員会で行なわれる原油処理量の配分、調整によつて実現されていることを知つていた。

4  昭和四七年度上期の需給事情と生産調整

ドルショックによる石油製品の需要の伸びの減退は著しく、政府の昭和四六年末の経済見通しでは昭和四六年度の実質国民総生産(GNP)の対前年度伸び率は4.3パーセントに落ちた(実績は5.7パーセント)。このような情勢の下で昭和四七年一月中旬から始まつた通産省鉱山石炭局石油計画課の指示による石油連盟需要専門委員会の需要予測作業は困難に遭遇した。需要専は政府見通しの昭和四七年度GNP対前年度伸び率7.2パーセント及び昭和四六年一二月までの実績等を用いて内需予測を行ない、通産省はその見通しなどを用いた需給計画に基づいて昭和四七年度の供給計画を策定し、昭和四七年三月一〇日の石油審議会の議を経て同月下旬にこれを告示した。右供給計画の基礎となつた需給計画の昭和四七年度分燃料油合計の需給は次のとおりである。なお、これは昭和四七年五月一五日からわが国の施政下に復帰することになつた沖縄県の分を含んでいる。

上期        下期        計

期初在庫      九、七四二     一五、二九三

生産    一〇一、一五二    一一三、六九六    二一四、八四八

輸入      八、一一一     一〇、七一二     一八、八二三

内需     九五、二一五    一一八、七三六    二一三、九五一

輸出      八、四九七      八、七七二     一七、二六九

期末在庫     一五、二九三     一二、一九三

原油処理    一〇九、九四八    一二三、五八三    二三三、五三一

(単位 千キロリットル)

右の昭和四七年度内需見通し二億一三九五万一千キロリットルは、昭和四六年度供給計画の基礎となつた昭和四七年度内需見通し二億三一八七万六千キロリットル(原油生だき分一七一〇万を除く。)を一七九二万五千キロリットル即ち約7.7パーセント下回るものであつた。しかし、需要専が更に新しい資料に基づいて予測したところでは、上期における需要の減退は右見通しにとどまらないことがわかつた。

また、沖縄県の復帰に伴い、後述するように沖縄県で生産された製品が本土に持ち込まれることによつて供給が過剰となることが懸念された。そこで石油計画課総括班長岡松壮三郎は、昭和四七年三月二四日石油連盟から被告人脇坂、需給副委員長小貝谷、需給課長内田剛嘉らを呼び、沖縄問題について打ち合せを行なつたが、その際岡松は、沖縄復帰後同県にある精製会社が石油業法の適用を受けることや、本土への製品持込み制限の方針などについて説明した上、昭和四七年度上期の需要動向については業界の意見を尊重する、生産の実行ベースは供給計画と別のものであつても差支えない、沖縄からの持込みの取扱いについても業界内の合意が得られれば通産省の指示と違つてもよい、沖縄問題及び生産問題については業界の意見を聞かせてもらいたい旨述べた。

そこで被告人脇坂らは、通産省の了承を得て上期の内需を前記需給計画より二〇〇万キロリットル少なくなり見積り、これに見合う業法計画を各社から通産省に届け出させることとし、需給常任において、前記上期の内需九五二一万五千キロリットルから沖縄県の上期内需見通し四四万キロリットル及び右二〇〇万キロリットルを控除した九二七七万五千キロリットルを本土分内需とし、これに基づいて算出した所要の一般内需用輸入原油処理量を各社又はグループに配分した。各社はその配分量に従つて業法計画を作成し、これを届け出た。通産省はその集計結果を参照して上期本土分の「実行計画」を作り、同年六月一九日これを発表したが、それによる燃料油合計の需給は次のとおりであつて、内需を右の石油連盟の見通しどおりとし、供給計画の生産量、期末在庫を削減している。

供給計画      実行計画       増減

三月末在庫     九、七四二    一一、四八二     一、七四〇

生産    九八、七九八    九三、五八六    △五、二一二

輸入     八、一一一     八、五八五       四七四

内需    九四、七七五    九二、七七五    △二、〇〇〇

輸出     六、八七二     七、〇〇七       一三五

九月末在庫     一五、〇〇四    一三、三一二    △一、六九二

原油処理   一〇七、三八九   一〇二、一九〇    △五、一九九

(単位 千キロリットル。△印は減。なお、供給計画というのは前記需給計画から沖縄県分を控除したものである。)

5  配分基準と共石問題

一般内需用輸入原油処理量を各社又はグループに配分する基準としては、前記のとおり昭和四三年度下期に四本柱の比率が採用され、昭和四四年度上期にもこれが踏襲され、以後昭和四七年度上期に至るまでこの基準が若干の修正を施した上で用いられてきた。もつとも、昭和四五年度には前期の実績に一定の伸び率を乗じた数量で調整したが、基本的には四本柱が続いてきた。

四本柱は、前述の構成要素から明らかなように、販売実績に極めて高い重みを置いているため、販売能力の大きい業者にとつて有利な基準であり、設備能力が大きいのに販売能力がこれに伴わない共同石油グループのような業者にとつては不利な基準であつた。

共同石油株式会社は、昭和四〇年八月に日本鉱業、アジア石油、東亜石油の三社が出資し、これらの販売部門を集約して設立された石油元売業者であり、これらが共同石油グループを形成し、その後設立された富士石油、鹿島石油及びアジア共石も同グループに参加した。共同石油は昭和四三年七月石油連盟に加盟し、同連盟による原油処理量の配分は、共同石油グループに対し一括して行なわれることになつたので、需給常任には共同石油の需給委員がグループ代表として出席していた。

共同石油グループは、民族系企業育成という政策に基づいて通産省から優遇措置を受けて成長してきた。即ち、通産省は同グループに多くの精製設備の許可を与え、開発銀行の融資を認めるなどして同グループを助成した。同グループの拡大によつてその設備能力は、昭和四〇年度当時の一日二一万四三五〇バーレルから昭和四六年度下期には一日七五万四三五〇バーレルに達して日石グループを追い越し、昭和四七年度下期には更にアジア共石の一日六万バーレルが稼働を開始する予定だつた。設備の全社合計に対する比率で見ると、昭和四〇年度下期の約10.4パーセントから昭和四六年度下期には約18.0パーセントに上昇した。しかし、共同石油の販売能力の向上は精製能力の増大に伴わず、昭和四六年度における同社の石油製品販売量の全社に対する比率は約12.3パーセント、富士石油の販売量を合わせて約13.2パーセントであり、同グループの精製能力と販売実績との間には大きな開き、いわゆる精販ギャップが生じていた。もちろん、この販売実績比率の低さは、販売能力の不足によるばかりでなく、生産調整方式の影響による面もある。即ち、前述のように原油処理量の配分は昭和四三年度下期以降四本柱の比率で行われていたので、主として販売実績を反映する配分比率が次第に固定し、設備の大きいことやその伸びは僅かしか配分比率に反映しないのである。その結果、共同石油グループは積年低稼働率に苦しんでおり、配分方式に強い不満を持つていた。そこで共同石油グループは昭和四七年度上期の生産調整にあたり、被告人脇坂に対し設備能力を重視するように配分方式を改定することを申し入れたが、他社の反対が強いため、そのような改定は極めて困難だつた。

しかし、昭和四七年度下期には前記アジア共石の新設設備のほか、小規模の会社である九州石油、極東石油工業もその新増設設備が稼働を開始するなど、配分方式の改定を考慮せざるを得ない情勢にあつたので、被告人脇坂は、上期の生産調整を決定する需給常任において、下期には配分方式の改定を検討する旨を約束した。

6  沖縄問題

沖縄県は昭和四七年五月一五日からわが国の施政下に復帰したが、同地にはそれまで石油業法による規制が及んでいなかつたため、需要の割に過大な精製設備が建設されていた。即ち、復帰当時の沖縄県における精製業者とその設備能力は、次のとおりであつた。

南西石油株式 一日八万バーレル

会社

東洋石油精製 一日二万八千バーレル

株式会社

沖縄石油精製 一日一〇万バーレル

株式会社

合計 一日二〇万八千バーレル

この設備は、年間優に九〇〇万キロリットルの燃料油を生産する能力がある。ところが沖縄県内の需要は当時年間約一〇〇万キロリットル、輸出は約四〇〇万キロリットルの見通しであつたから、余剰の製品が自由に本土に持ち込まれることになると、本土の供給が過剰になるおそれがあつた。

このような事情にかんがみ、通産省は、沖縄復帰前から沖縄三社について、本土の親会社を通じ、株主構成を民族資本が五〇パーセント以上を占めるようにすること、本土では本土の元売業者を通じて製品を販売することなどを指導してきた。また、復帰に際し、昭和四八年度末まで本土に持ち込むことができる製品を、エッソ・スタンダード石油株式会社及びゼネラル石油株式会社はそれぞれ南西石油から重油一日一万バーレル(年間約五八万キロリットル)及びナフサ若干、日本石油は東洋石油精製からナフサ及び重油合計一日一万バーレルと制限し、また通産省の承認を受けてこれ以上持ち込む場合には同量の重油輸入の関税割当を辞退すること、また出光興産は沖縄石油精製から重油を持ち込むことができるが、持込み量と同量の関税割当を辞退することとする行政指導措置をとつた。

なお、重油の輸入については昭和四七年度から輸入割当制が廃止されて、関税割当が行なわれることになつた。

7  新増設設備の稼働制限

昭和四七年度下期に完成予定の新増設設備は、日石精二万、九石七万、昭和四日市八万、西部六万、丸善四万、アジア共石六万、東燃五万、極東四万、出光四万、富士興三万、合計四九万、昭和四八年度上期に完成予定の新増設設備は、日鉱四万、昭和四日市三万、三菱五万、東北三万、日網四万三千、日本海三万、合計二二万三千(単位はいずれも一日当りバーレル)であつた。また、昭和四八年度下期以降も次々と新増設設備が完成の予定であつた。

前述のように需要の伸びが低下した情況の下で、通産省は、右の新増設設備が全面稼働するに至ると供給過剰を来たすものと予測し、昭和四七年五月二七日第四三回石油審議会に諮つて、第三八回石油審議会が許可の答申をした右昭和四八年度上期完成予定の一日二二万三千バーレル及び同下期完成予定の三社合計一日二七万バーレルの設備について、稼働開始後一年間稼働率を五〇パーセントとし、第四一回石油審議会が許可の答申をした昭和四八年度下期ないし昭和四九年度下期完成予定の一二社合計一日六五万バーレルの設備について、完成時期を一年間延期する措置をとつた。ただし、これらの措置は、昭和四八年七月に解除された。

通産省は、昭和四七年度下期完成予定の前記設備についても、当該会社から、昭和四八年三月末日までの稼働率は当局の指定に従う旨の念書を差し出させたが、通産省の指示は出されることなく終つた。

8  需給、営業両委員長の会談

昭和四六年八月のドルショック後から、石油連盟の需給委員会正副委員長は、営業委員会正副委員長と需給問題等について定期的に会談を行なうようになり、昭和四七年度には毎月一回位これが行なわれた。当時の営業委員長は日本石油常務取締役岡田一幸であつた。右会談では灯油への転換需要その他需要動向等について意見の交換が行なわれたが、営業委員長側からガソリンその他の製品の生産過剰の情況が見られるので生産量、在庫量を削減してもらいたいとの要望が出されることがあつた。昭和四七年度下期の生産調整に際しても需要見通し、必要在庫等について話し合いが行なわれ、岡田から右趣旨の意向が述べられた。被告人脇坂は、このような営業委員長の要望を考慮に入れながらも、需給委員長として自主的に生産調整に関する事項を決定していた。

第五節本件生産調整

一本件生産調整の概要

本件公訴は、昭和四七年度下期分及び昭和四八年度上期の一般内需用輸入原油処理量を五グループ九社に割り当てた各行為をその対象としているが、右各行為はいわゆる生産調整の決定として行なわれたものであり、本節において右生産調整の経緯を認定するが、最初に昭和四七年度下期と昭和四八年度上期とに共通な本件生産調整の概要を説明する。

1  主体

イ 既に述べたとおり(四節五1、2)、石油連盟は昭和四三年度下期以降「需給常任委員会(需給常任)」において原油処理量に関する生産調整を審議、決定するようになり、それが慣行化していたのであるが、本件生産調整もこの慣行に従い、需給常任において行なわれた。需給常任は、原油処理量に関する生産調整について審議、決定を行なうために開催されることが慣行となつていた石油連盟需給委員会の会議の一形態であり、それの決定は石油業界において石油連盟の決定として通用していた。したがつて、本件生産調整に関する業務は、被告人石油連盟の業務である。

需給常任は、需給委員会委員長が主宰し、これに出席していたのは、原則として後述の石油精製業五グループの各代表会社及び右グループに属しない石油連盟会員である石油精製業九会社の需給委員であつた。需給常任は、これら委員全員の一致で生産調整に関する決定を行なうことにしていたから、その決定の石油連盟の決定としての効力について会員会社が異議を述べることはなかつた。

需給常任は、原則として石油連盟の会議室で開催されたが、時には需給委員長の所属会社で開催された。その会議には石油連盟事務局業務部(昭和四八年八月から需給部)の担当職員も列席し、メモを取つていた。需給常任の審議その他生産調整のために必要な資料の収集、書類の作成などの準備作業、会議招集のための連絡などの事務は、需給委員長の指示に従い、同部需給課の職員が行なつていた。

ロ 右の組織の中における主な人の役割を概括的に述べると、次のとおりである。

被告人脇坂は、需給委員会委員長として、その在任期間中、被告人石油連盟の業務に関し、被告人瀧口らと意思を共同して本件生産調整(原油処理量の配分による制限)を企画、準備し、需給常任を主宰してこれを審議、決定、実施させた。その行為のうち、昭和四七年一〇月三一日と昭和四八年四月九日との二回にわたり配分を決定させた行為が起訴にかかる「本件各行為」である。

被告人瀧口は、被告人石油連盟の会長として、その在任期間中、同連盟の業務に関し、右生産調整について被告人脇坂、需給委員会副委員長小貝谷らから随時報告等を聞いてその決定に至る経緯の概要を知り、右生産調整を決定、実施することについて被告人脇坂と意思を共同し、また昭和四七年度下期においては、後述(本節二8)のとおり社長会に出席し、生産調整の方法に関する各社の意見を調整するについて重要な役割を果した。

小貝谷は、需給委員会副委員長として本件各原油処理量の配分を決定した需給常任に出席し、他の委員らと共に被告人脇坂と意思を共同し、同被告人の提出した配分案に賛同して本件各行為を行なつたほか、本件生産調整の準備に際し、その方法等に関して被告人瀧口及び被告人脇坂と協議し、意見を述べた。

多々井全二は、昭和四七年八月から石油連盟事務局業務部長代理兼需給課長、昭和四八年八月から同事務局需給部長兼需給課長の職にあり、本件生産調整に関し、被告人脇坂からの相談にあずかり、また同被告人の指示を受け、部下の需給課職員桑原日出夫、久保田亘らを指揮して、前記生産調整関係の事務を行なつて同被告人の前記行為を補佐した。

原油処理量に関する生産調整は、前述のとおり本件以前から長く行なわれてきたのであり、本件生産調整もこれを引き継いで行なわれたものである。したがつて生産調整の対象や方式は当時までに概ね慣行化していたので、被告人脇坂らは、後述の配分基準の改定などこの時期における特殊な事項を除いては、従前の生産調整の方法を踏襲した。このようにして採用された昭和四七年度下期及び昭和四八年度上期における生産調整の方法の概要は、次の2、3、4のとおりである。

2  対象となる会社及びグループ

生産調整の対象となる事業者は、石油連盟の会員会社のうち石油精製業を営む前記二四社並びに非会員で輸入原油の精製を営むアジア共石、富士興産及び東邦石油の合計二七社である。これは、沖縄県を除くわが国内で輸入原油の精製を営む事業者の全部といつて差支えない。このうち、アジア共石は、昭和四七年度下期から操業を開始したので、共同石油グループの一員として生産調整の対象に加えられることになつた会社である。富士興産及び東邦石油については、起訴状記載の公訴事実は触れていないが、両社に対する原油処理量の配分は右公訴事実と密接に関連するので、公訴事実の審理に必要な限度で事実認定に含める。

右二七社のうち一六社は、親子関係、業務提携関係等の関連のある会社が集まつて五つのグループを形成しているので、これらの会社に対しては原油処理量の配分はグループを単位として行なわれ、グループ内の配分は各グループに委ねられる。したがつて、配分は五グループ一一社を単位として行なわれる。各グループには、需給常任においてグループを代表する会社があり、原則としてその会社の需給委員がこれに出席していた。

生産調整の対象となつた会社及びグループ別を列挙すると、次のとおりである。○印を付けた会社はグループ代表である。このうち共同石油及びシェル石油株式会社は石油精製業を営んでいないので、かつこで包んだ。

日本石油グループ{○日本石油

日本石油精製

興亜石油

共同石油グループ{○(共同石油)

日本鉱業

東亜石油

鹿島石油

富士石油

アジア石油

アジア共石

丸善石油グループ{○丸善石油

関西石油

シェル石油グループ{○(シェル石油)

昭和石油

昭和四日市石油

西部石油

三菱石油グループ{○三菱石油

東北石油

出光興産

大協石油

太陽石油

ゼネラル石油精製

日網石油精製

東亜燃料工業

極東石油工業

九州石油

日本海石油

東邦石油

富士興産

3  対象となる原油処理量

生産調整は、石油精製業者の原油処理量、即ち精製装置にかけて処理する原油の量を右各グループ又は会社ごとに制限するものであるが、その原油処理量は各社についていわゆる所有権ベースで計測されたものである。即ち、自社の原油を自社で精製する分のほか、他社に委託して精製する分を含み、他社の原油を委託を受けて精製する分を含まない。

また、生産調整の対象となるのは原油の総処理量ではなく、そのうちのいわゆる一般内需用輸入原油処理量である。それは、一定期間における総処理量から、その期間中の外枠とされる国産原油の処理量、輸出用製品生産相当量(製品輸出量を0.95で除した数量)並びに石油化学、肥料及び液化石油ガス原料用ナフサ供給相当量(同ナフサ数量を0.92で除した数量)を控除した処理量である。ただし、昭和四七年度下期の当初(一〇月三一日)配分においては、規模の小さい日本海石油の石油化学等用ナフサは外枠とされていなかつた。右配分の比率に一部寄与している日石案(委員長二次案)では、西部石油も同様であつた。また、東邦、富士興については、本件各生産調整において外枠のナフサは認められていなかつた。

前記各社、グループに配分された原油処理量合計の総原油処理量(石油連盟計画)に占める割合は、昭和四七年度下期の当初配分において約80.5パーセント、昭和四八年度上期の当初配分において約78.6パーセントであつた。

4  配分方式

需給常任は、当該期における全社合計の一般内需用輸入原油処理量(配分総枠)を定め、これを一定の基準により前記五グループ及び一一社に配分する。各グループ又は会社に対する配分量は制限量(配分枠)であり、各グループ各社は、当該期中における一般内需用輸入原油処理量についてその配分量を遵守しなければならないものとされる。この配分量は需給事情により期中に追加されることがある(追加配分)。配分量を超えて原油処理を行なつたグループ又は会社は、次の期において配分量から右超過量を差し引いた量に前記処理量を制限され、前記処理量が配分量に達しなかつたグループ又は会社は、次の期において配分量に加え右不足量の処理が許される(過不足調整)。

二昭和四七年度下期の生産調整

1  需給研究会

前述(四節五5)のように、原油処理量の配分基準についてはかねてから共同石油グループ等に強い不満があつたため、昭和四七年度上期の生産調整にあたつて被告人脇坂は、下期の生産調整に際しては配分方式の改定を検討すると約束していた。しかし、前述のように下期に稼働開始予定の新増設設備は合計一日四九万バーレルもあり、特に新規業者であるアジア共石の一日六万バーレルの稼働開始、小規模会社である九州石油の一日七万バーレル、極東石油工業の一日四万バーレルの能力増加が予定されていたので、各社の了承を得られるような配分基準を作ることは多大の困難が予想された。

そこで被告人脇坂は、需給委員長として、昭和四七年度下期を控え、「需給研究会」という会合を設け、生産調整方式改定の検討を行なうことにした。この会合は、同被告人又は需給委員会副委員長中島芳博(三菱石油取締役輸入部長)が主宰し、主要精製業者の需給委員が出席し、昭和四七年六月七日から同年八月八日まで七回にわたつて開催された。その会合では生産調整の目的に始まる論議がかわされ、その目的が市況対策にあるとする主張が多く、生産調整を行なうこと自体には異議がなかつたが、配分方式については、設備能力の割に販売能力の大きい日石グループなどは販売実績を基準とすることを主張し、設備能力の割に販売能力ないし販売実績の少ない共同石油グループなどは設備能力を重視した基準によるべきことを主張するなど、各社の意見が対立し、結論を見るに至らなかつた。結局、配分案の作成は被告人脇坂に一任されることになつた。

2  通産省の供給計画見直し

通産省鉱山石炭局は、昭和四七年度下期にあたり、例年どおり供給計画の見直しを行なうこととし、同局石油計画課計画調査班長田村勝則らが昭和四七年七月二四日石油連盟需要専門委員会に指示して需要見直し作業を行なわせた。田村は、その際経済見通しについて、通産大臣官房調査課の予測した実質国民総生産(GNP)の対前年度比伸び率8.3パーセントを使用するよう指示した。需要専はその指示に従つて作業を進め、同年八月一七日作業を終えてその結果を通産省に報告したが、それによると、昭和四七年度下期の燃料油の本土分(沖縄県を除くわが国内)内需見通しは合計一億一六五一万三千キロリットルであつた。これは年度当初の供給計画における下期見通しを約二七五万キロリットル下回つていた。

需要専は、下期の需要の伸びが右に達しないという見方もあるところから、右作業の際、供給計画策定について用いられた実質国民総生産の対前年度比伸び率7.2パーセントを用いた内需見直しをも併せて行なつたが、それによると同内需見通しは合計一億一四八一万二千キロリットルであつた。

なお、供給計画の基礎となる需給計画では内需をいわゆるリターンベース(石油化学原料用ナフサの需要量を、その供給量から製油所に還流するガソリン基材の量を差し引いたものとする。)で示しているが、見直しの場合には通常チャージベース(右の差引きを行なわない。)で示している。右の内需見通しもチャージベースである。

通産省鉱山石炭局石油業務課は、需要専の報告した前記伸び率8.3パーセントを用いた内需見通しを採用して供給計画の見直しを行ない、昭和四七年九月五日付で沖縄含みの「四七年度下期需給見通し」を作成し、これに基づいて大蔵省と重油の関税割当量について交渉し、輸入枠を決定した。右見通しでは、沖縄含みの下期燃料油内需は合計一億一七〇九万キロリットル(本土分のみでは一億一六五一万三千キロリットルとなる。)であつた。

この需給見通しは、その後灯油需要を三五万キロリットル積み増すなどして同年一〇月二八日付の「四七年度下期需給バランス」(本土分の内需は一億一六八六万三千キロリットルとなる。)に改定され、業界に示された(後述本節二7ロ)。

3  石油連盟の適正需給バランス作成

被告人脇坂は、昭和四七年八月下旬石油連盟需給委員会副委員長小貝谷(日本石油、日本石油精製嘱託)、同中島芳博、石油連盟事務局業務部長代理兼需給課長多々井全二とともに下期の需給について検討した。その結果、石油連盟の本土分内需見通しは、前記二通りの需要専予測のほぼ中間の数値とするのが適当であるという見地から、通産省が採用した前記伸び率8.3パーセントを用いた内需見通し燃料油合計一億一六五一万三千キロリットルから一〇〇万キロリットルを減じた同一億一五五一万三千キロリットルとすることにした。また、期末在庫(必要量)は、業界で従来から用いている方式で計算した数量とした。この業界の方式は、半製品在庫やコンビナート供給の増加などを考慮して、ナフサや重油の在庫日数等の点において通産省の需給計画より少なくなつている。これらに基づいて、石油連盟事務局業務部需給課は同年八月二九日付で「四七年度下期適正需給バランス試算」等の資料を作つた。右適正需給バランス等は、同日開かれた要給常任で承認された。

被告人脇坂は、同月末ごろ通産省鉱山石炭局石油業務課長根岸正男を訪れ、右の需給バランスについて説明し、意見を交換した。しかし、前記の内需見通しを一〇〇万キロリットル減ずることについては了承を得るに至らなかつた。

同被告人は、その後需給課に指示して、通産省の決定した重油輸入枠の数量を用いて前記需給バランスを修正した同年九月八日付の「四七年度下期適正需給バランス」等の資料を作成させた。これによると、下期の燃料油生産量は合計一億〇七四七万九千キロリットル、原油処理量は一億一五五六万九千キロリットルとなり、これから算出した一般内需用輸入原油処理量即ち配分の総枠は九四〇一万二千キロリットルとなつた。なお、アジア共石の新規コンビナート用として慣例に従い共同石油グループに割り当てる予定の三七万四千キロリットルが別枠とされた。

同被告人は、同年九月八日正副委員長の打ち合せを行ない、更に需給常任を開いて右適正需給バランス及び配分総枠について説明し、承認を受けた。

4  委員長案(原案)作成と各社の説得

イ 被告人脇坂は、前記昭和四七年九月八日に引き続き同月一三日及び同月二一日に正副委員長の打合せを行ない、配分方式等について協議した。同被告人は、共同石油グループ等の要望を考慮し、設備能力を従来よりは多く配分比率に反映させようという見地から、前年度販売実績比率を五〇パーセント、前年度処理実績比率及び昭和四七年一〇月一日現在の設備能力比率を各二五パーセントとする配分基準を提案した。これに対し副委員長中島は賛成したが、日石グループの代表でもある副委員長小貝は反対し、シェアを固定すべきだとの立場から前期と同比率で配分することを主張した。

また同被告人はこれと平行して副委員長らと共に、配分基準について特に問題の多い前記共同石油グループ、九石、極東のいわゆる特別三社から事情や意見を聞くため、同年九月八日、一一日、二〇日にわたり各社二回ずつヒヤリングを行なつたが、小貝の主張する前期横ばい案で三社を説得することはできなかつた。

ロ そこで同被告人は、同月二一日副委員長らと打合せを行なつた上、需給委員長としての配分案に基づきヒヤリングを行ない、各社を説得することにした。同被告人の指示により同月二二日付で需給課が作成した委員長案(原案)は、前記五〇、二五、二五の比率を基本として前記総枠九四〇一万二千キロリットルを配分し、対前年度同期比伸び率の著しく高い大協石油の配分量を一部削るなどして、配分量が前年度同期に達しない中小会社に前年度同期の配分量を保障したものであつた。同被告人は、このほかに九石に二五万キロリットル、極東に一五万キロリットルの「特別対策」を施す考えであつた。

同被告人は、そのころ通産省に赴いて、根岸課長に対し右委員長案作成の経緯、配分基準の問題点等について説明した。また、多々井は石油業務課需給班長小田肇に対して同様の説明をした。根岸は、石油行政担当の鉱山石炭局参事官飯塚史郎に対し右の事項を詳細報告説明した。飯塚は、委員長案が従来の四本柱よりも設備能力を重視している点を評価した。

ハ 被告人瀧口は、小貝から報告を受けて前記委員長案作成の経緯や小貝がこれに反対していることを知つていた。同年九月二五日被告人脇坂は日石本社に被告人瀧口を訪ね、委員長案に基づいてヒヤリングを行なう旨報告し、了承を得るとともに、日石としても右案に賛成してもらいたいと頼んだが、被告人瀧口はこれに応じなかつた。

ニ こうして、被告人脇坂は、同年九月二五日、二六日にわたり、副委員長らとともに、丸善、三菱及び富士興を除く全社(グループについては主として代表会社)の需給担当者を呼んで、個別にヒヤリングを行ない、委員長案(原案)に基づいて説得した。次いで同年一〇月二日、三日、四日にわたつて、富士興のほか、なお配分案に不満の多い共石、大協、シェル、ゼネ石精、日本海、日網、九石、極東に対するヒヤリングを精力的に続けた。この過程で、委員長案に基本的に反対するところは、日石グループ、シェルグループ、ゼネ石精にしぼられてきた。

5  通産省の指導と委員長案(一次案)の作成

イ 通産省担当官は、昭和四七年度下期を迎え、すみやかに石油連盟の生産調整がまとまり、下期の生産計画変更届が提出されることを望んでいた。

これより先、九州石油業務部長荻野慶次(需給委員)は、昭和四七年八月から九月下旬までの間数回にわたり、時には同社副社長伊藤繁樹と共に‥通産省に飯塚参事官、根岸石油業務課長、同課の需給班長小田肇、精製班長小林勝利らを訪れ、増設分を含む自社の設備の稼働率をある程度上げられるようにするため、配分基準に設備能力をもつと多く考慮すること、あるいは自社の配分量をもつと多くすることを被告人脇坂に働きかけてほしい旨陳情した。同じころ共同石油取締役仕入部長早猛力(需給委員)及び極東石油の太田茂も数回通産省を訪れ、同じような陳情や苦情を繰り返した。

ロ 同年九月末ごろ被告人脇坂が通産省へ報告に行つた際、飯塚参事官は同被告人に対し「一〇月七日までに配分をきめてほしい。配分基準に設備能力をもつと考慮すべきだ。共石の配分量はまあまあだが、九石には三五万キロリットル、極東には二〇万キロリットル位を増量すべきだ。」との旨の指示を与え、その際「業界で配分ができなければ役所で引き取つてもよい。」旨発言した。同被告人は同年一〇月二日の打合せの際、副委員長らや多々井に右指示を報告し、同日から四日までのヒヤリングで配分をまとめるように努めた。九石、極東に対しては特別対策の増加を持ち出して辛うじて納得させた。

しかし会長の会社である日石が反対を続けていたので、被告人脇坂は同年一〇月六日ごろ再び日石本社に被告人瀧口を訪ね、委員長案に同調してほしいと頼んだが、被告人瀧口は、シェアが急に変動するのは好ましくないので日石としては賛成できないと答えた。被告人脇坂は、日石の立場としてではなく石油連盟会長の立場できめてもらいたいと頼んだが、被告人瀧口はこれに応じないで、各社が納得するような別案を考えるよう指示した。

更に被告人脇坂は、委員長案に反対しているシェルグループの昭和石油の社長永山時雄をそのころ訪れて賛成してくれるよう頼んだが、永山は配分基準に問題があるとして賛成しなかつた。

そこで被告人脇坂は、同月一一日ごろ通産省に行つて、飯塚参事官及び根岸課長に対し経過を報告するとともに、委員長案に反対している昭石やゼネ石精を説得することを依頼した。飯塚は、昭石の永山社長は先輩だから話してみると述べた。その後飯塚は永山に電話して委員長案に賛成したらどうかすすめたが、永山はこれに応じなかつた。

また、飯塚参事官は、同年中旬日石の需給委員である小貝谷を呼んで、「日石は反対しているそうだが、早く委員長案に同調したらどうか。まとまらなければ通産省で引き取るが、その場合には設備をもつと重視する。」と警告した。

ハ 被告人脇坂は、このように通産省の支持の下に各社の説得を続ける過程で、ヒヤリングの結果等にかんがみ原案を若干修正して委員長案(一次案)の内容を確定し、事務局需給課をして同年一〇月一一日付で「四七年度下期一般内需処理配分枠」という配分量、配分基準、伸び率等の詳細を示した表を作成させた。この一次案が原案と変つた主な点は、日本海、ゼネ石精、日網、太陽の四社に前年度同期比一〇二パーセントの配分量を認めたこと及び九石に三五万キロリットル、極東に一八万キロリットルの特別対策を施したことである。その結果、配分量の合計は原案の総枠の中に納まらなくなり、一次案の総枠は九四七〇万二千キロリットル(この外に共石グループの新規コンビナート用三七万四千キロリットル)に増加することになつた。

6  日石案の提示

小貝谷は、前記のように飯塚参事官から説得されたため、日本石油精製が下松製油所の設備許可を申請している関係もあつて、何とか配分をまとめなければならないと考えるようになり、同年一〇月中旬日石本社で被告人瀧口及び日本石油取締役(日石精の需給委員)湯淺正治と相談し、同被告人の指示を受けて日石の主張をとり入れた別案(日石案)を作成した。この日石案は、基本配分として昭和四七年度上期における配分比率を用いて委員長原案の総枠九四〇一万二千キロリットルを配分するが、共石グループ、九石及び極東に対しては今期限りとして委員長一次案と同じ配分量を認めるというものであつた。その結果、総枠は九五〇四万八千キロリットルに増加することになつていた。

湯淺と小貝谷は、同年一〇月二〇日丸善石油に被告人脇坂を訪ねて右の日石案を提示し、その採用を申し入れた。同被告人は、この案を利用して壁に突き当つている配分問題を解決する方途があると考え、湯淺らの申し入れを了承した。

同被告人は、関係会社の社長に集まつてもらつて社長会を開き、その席上で日石案と委員長一次案との折衷案で実質的に妥結を図る意図であつた。そこで、同被告人は、被告人瀧口に、その意図を告げないで、社長会を開催してそこでまとめたい旨を話して了承を得た。また、そのころ三菱石油常務取締役渡邊武夫に依頼して社長会でその折衷案を提出することを引き受けてもらつた。

被告人脇坂は、同月二三日ごろ通産省に行つて、根岸課長の右の経緯と社長会で妥結を図る計画を報告し、了承を得た。

7  暫定的な計画提出と見直し需給計画

イ 右のように被告人脇坂が同年一〇月二三日ごろ通産省を訪れたころ、石油需給担当官らは、同月二七日に国会が開会され、灯油等の需給事情に関する質問のあることも予想されるので、早急に下期の生産計画を提出させ、需給見通しを立てる必要に迫られていた。そこで根岸課長は、訪れた被告人脇坂に対し「国会もあるので、生産計画がまだ提出されていないのは何か起つたときにまずい。あとで正式の届出と差し換えてもよいから、とりあえず各社から生産計画の総括表だけでも提出するように連絡してもらいたい。」旨要請した。

また、小田需給班長は、根岸課長の意向を受け、同月二三日夕刻精製業又はグループ代表各社の需給担当者を通産省の会議室に集め、同月二七日までに生産計画を提出するよう要請した。その際、小田は独自の判断で「灯油の需要が増加しており、景気の回復も早まつているので、前提とする本土分内需はGNP8.3パーセントによる需要見直しに一四〇万キロリットル上積みする。様式は石連フォーム(石油連盟が用いている製油所別数量を記載しない略式の生産計画の様式)により、輸入計画は不要である。内需処理規模は各社の任意とする。業法に基づく正式届出は後日これと差し換えることとする。」などの指示を与えた。

小田班長は、当時までに根岸課長や石油連盟の多々井、日石の小貝谷、丸善石油の坂井一郎らが石油連盟の行なつている生産調整の経過、内容を聞いていたので、その生産調整の前提とする内需量が通産省の需給見通しより少ないことを知つていたが、国会や新聞に対する対策上前記のように内需量を積み増した需給計画を立てる必要があると考えたのである。また、各社に対する配分量が決定されていないこの段階で各社が任意に内需用の処理計画を立てる以上、その合計が石油連盟の適正需給バランスを超過することは当然予想されるところであつた。

翌一〇月二日小田班長は、下期のナフサ輸入量を割り当てるため各社に対するナフサヒヤリングを行なつた。その際、大部分の会社の出席社は、原油処理は「委員長案」又は「業界ベース」で行なう旨説明したが、小田はこれに対して何の注意も与えなかつた。

同月二七日に各社から通産省に提出された前記の暫定的な生産計画を集計した結果では、原油処理量合計(国産原油だけを処理する帝石トッピングの一一万九千を含む。)が一億二五三九万七千キロリットルとなり、石油連盟の適正需給バランス上の数量を超えるばかりか、通産省の当時の計画量と比べても過大であつた。しかも内需用製品生産量のうち軽油、B重油などは通産省の計画量と比べて不足しており、右計画は通産省が実行計画とすることができるものではなかつた。

ロ そこで、小田班長は、同月二八日急いで国会答弁、新聞発表等の資料とするための見直し需給計画を作り上げ、これを石油連盟に交付した。昭和四七年一〇月二八日付の「四七年度下期需給バランス(本土分のみ)最終案」「同(沖縄含み)」がこれであつて、それの燃料油合計の需給は次のとおりである。

本土分     沖縄含み

四七年九月末在庫   一三、四四五   一三、四四五

生産      一一一、〇八〇  一一一、六五七

(得率)       (93.0)   (93.0)

輸入       一一、九八〇   一一、九八〇

内需      一一六、八六三  一一七、四四〇

輸出        八、一〇〇    八、一〇〇

四八年三月在庫   一一、五四二   一一、五四二

原油処理      一一九、四四一  一二〇、〇六一

(単位千キロリットル)

これを通産省の前記九月五日付需給見通しと比べると、灯油需要を三五万キロリットル積み増している。また輸出量は、各社の一〇月二七日付計画に従つたものである。

なお、石油連盟需給課では、同年一〇月三一日付で右各需給バランスのうち期初在庫だけを新しい統計速報等に基づき一三、四七一と修正して組みかえた需給バランス表を作り、これを通産省計画として取り扱つており、通産省でも同年一一月二日付で右のうち沖縄含みと同内容の「四七年度下期需給バランス」を作成し、これを新聞発表用にも用い、最終的な通産省の見直し需給計画とした。

ところで、通産省の右各需給バランスにおいて、基礎になつているのは本土分の表であり、「沖縄含み」は本土分の内需に沖縄県内の需要五七万七千キロリットルを上乗せし、これに見合つた生産量及び原油処理量を本土のそれにつけ加えたものにすぎない。しかし、沖縄県から本土への製品持込み量(関税割当を返上しない分が約一〇〇万キロリットル)を考慮するならば、その分だけ本土の生産量を削減しなければならないはずである。また、沖縄県内の輸出量が考慮されていないが、その分を沖縄含みの表の輸出量及び生産量に加えなければならないはずである。そうしなければ沖縄県の前記一日二〇万バーレルの設備は稼働できないことになる。

8  社長会

前記のように社長会の開催を決定した被告人脇坂は、多々井と相談して昭和四七年一〇月二六日先ず需給常任を開催し、その席上従来の委員長案(一次案)を撤回し、日石案を委員長新案(二次案)として提出して説明し、社長会を開催してこれに諮る旨を告げ、各委員に二次案の内容を社長によく説明しておくよう依頼した。

社長会(第一回)は、同月二七日東京都内の全共連ビルにおいて開催された。この社長会は石油連盟の正規の機関ではないが、関係のある会員会社の社長の会合であり、そこで石油連盟の業務である生産調整の方法につき討議し、実質的解決を図ることを目的とするものであつた。同社長会には日石社長である被告人瀧口をはじめ、出光、共石、大協、昭和、シェル、九石、三菱、東燃、極東、日網、ゼネ石精、太陽、日本海各社の社長又はその代理者が出席し、石油連盟の需給委員会から被告人脇坂及び副委員長小貝谷が、事務局から業務部長代理多々井が出席した。副委員長中島は海外出張中だつた。

被告人脇坂が先ず従来の経過を説明し、被告人瀧口が座長的な立場で討議を進めたが、共同石油社長森誓夫、大協石油社長密田博孝、出光興産社長石田正実らは二次案(新案)に強く反対し、二次案でとりまとめようとした被告人瀧口の説得は奏功しなかつた。終りごろ三菱石油常務渡邊武夫が折衷案を持ち出したが、被告人瀧口はこれに乗つてこなかつたので、結論が出なかつた。

そこで同月三〇日東京都内の赤坂プリンスホテルで第二回の社長会が開催された。出席者の顔触れは前回とほぼ同じだつた。討議は再び紛糾し、森、密田があくまで二次案に反対したので、被告人瀧口も妥協案で収拾を図らざるを得なくなり、渡邊の提案した「一次案と二次案とを足して二で割る」という折衷案で行こうと述べ、これに対し森が回答を保留すると述べたが、被告人瀧口は「皆さんひとつこれでやりましよう」と言つて会議を終えた。大勢はこの折衷案を承認する雰囲気だつたので、被告人脇坂は配分問題が実質的に決着したと認めた。

通産省の指示により、第一回の社長会については多々井が、第二回の社長会については被告人脇坂が、即日通産省へ行つて根岸課長らにその経過、結果を報告した。

翌一〇月三一日、被告人脇坂及び多々井は、共同石油社長森から折衷案に対する態度決定を一任された同社需給委員早猛力に対し折衷案に賛成するよう説得した。共石グループ内には反対の空気が強かつたが、早猛はどうにかグループ内各社の一任をとりつけ、数日後被告人脇坂に対し「できるだけ協力しましよう」と返事した。

9  需給常任の配分決定(公訴事実第一にあたる行為)

イ 被告人脇坂は、社長会で折衷案に回答を保留した共同石油も何とか説得できると考え、小貝を介して石油連盟会長としての被告人瀧口の了承を得た上、慣行に従い需給常任において石油連盟の業務として、折衷案で原油処理量の配分を行なうことをきめ、石油連盟事務局業務部需給課に折衷案による配分量、配分比率等の計算作業及び需給委員の招集等の準備を行なわせ、昭和四七年一〇月三一日午後三時ごろから石油連盟事務所会議室において需給常任を開催した。出席者及びその所属は次のとおりであつた。

委員長   丸善グループ   丸善石油   被告人脇坂

副委員長   日石グループ   日本石油   小貝谷

委員   共石グループ   共同石油   早猛力

副委員   同         同         池上穂

副委員   シェルグループ   シェル石油   玉城英俊

同         昭和石油   奥村英弘

同         西部石油   角屋徹

副委員   三菱グループ   三菱石油   斉藤広昭

委員             出光興産   出光裕治

委員             大協石油   牧野隆明

委員             太陽石油   上山貴行

副委員             ゼネラル石油精製   陣勝久

委員             日網石油精製   土井澄

副委員             東亜燃料工業   堀田鐵男

極東石油工業   太田茂

委員             九州石油   荻野慶次

副委員             日本海石油   西村孜

事務局業務部長代理                   多々井全二

右需給常任において被告人脇坂は、社長会の結果を報告し、回答保留中の一社も説得できる見込みであるから今期は折衷案(三次案)で決定したい旨述べたところ、出席委員、副委員らに異議がなかつた。なお、同被告人は、シェルグループの西部石油の要望を入れ同社の生産する石油化学等用ナフサを生産調整の外枠とする方針だつたので、右事由により配分比率及び配分量が今後僅かばかり修正されることがある旨述べたところ、この点も異議がなかつた。続いて同被告人の指示により多々井が三次案について具体的に説明し、それによる各グループ又は会社の配分量及び配分比率を告知し、ここに右案による配分が決定された。その内容は次のとおりである。

配分量(単位千キリツロトル) 配分比率

日石グループ   一五、三一九    16.146

共石グループ   一三、一三五    13.844

丸善グループ    七、七五八     8.177

シェルグループ   一一、一六一    11.763

三菱グループ    七、二四一     7.632

出光      一二、六四三    13.325

大協       三、八七六     4.085

太陽       一、四三七     1.515

ゼネ石精       四、二九四     4.526

日網       一、六八〇     1.771

東燃       八、六二五     9.090

極東       一、六一二     1.699

九石       二、七四三     2.891

日本海         八八四     0.932

(以上合計)   (九二、四〇八)  (97.396)

東邦         九七二     1.042

富士興       一、四九九     1.580

合計      九四、八七九    100.000

他に共石グループに対し新規コンビナート分三七万四千キロリットルを配分する。

なお、右表の日石グループから日本海までの配分量は、起訴状別紙割当一覧表中「昭和四七年下期分」と同一である。

更に多々井は、通産省の指示により同年一一月七日までに業法に基づく生産計画変更届出書を提出すべき旨を伝え、同届出計画の基礎とすべき一般内需用輸入原油処理量として各社又はグループ別の「通産省用」の数字を告知した。これは、前記のように同年一〇月二八日付の通産省の需給バランスの期初在庫だけを修正した同月三一日付の需給バランス(通産省計画)本土分の原油処理量一億一九四一万三千キロリットルから算出した一般内需用輸入原油処理量九六三〇万八千キロリットルを右三次案の配分比率で配分した数量であつて、右原油処理量は三次案の配分量合計を一四二万九千キロリットル上回つている。もつとも、前記のように通産省の需給計画が考慮していない沖縄県からの製品持込み量を考慮に入れるならば、両者の差異は取るに足りないものとなる。

多々井がこのように通産省用の数字を告げたのは、小田需給班長が自己の作成した需給バランスに合致する業法計画を提出するよう指示していたので、形式上それに従うためであるが、被告人脇坂や多々井は、通産省と石油連盟とで当初の需要見通しに一〇〇万キロリットルの差異があることは通産省担当官らが前から知つているのであるから、三次案の配分量についても担当官に説明すれば当然了承を得られるものと考えていた。

ロ 石油連盟需給課は、同月三一日付で前記配分の一覧表やその配分量合計に基づいて作つた需給バランス(業界計画)と前記通産省計画とを対比した表などの資料を作成した。被告人脇坂は、同年一一月初めこれらの資料を通産省に持参して根岸課長に説明したところ、根岸は石油連盟の計画が通産省の計画と比べて原油処理量において大した差がないことを知り、配分の点を含めて、これを了承した。

需給課が作成した右の比較表(「四七年度下期需給バランス比較四七・一〇・三一」)から燃料油合計の需給等を摘記すると、次のとおりである。

通産省計画(本土分)   業界計画      増減

期初在庫   一三、四七一   一三、四七一        〇

生産  一一一、〇五四  一〇九、五二三   △一、五三一

(得率)     (93.0)   (93.0)

輸入   一一、九八〇   一一、九八〇        〇

内需  一一六、八六三  一一五、五一三   △一、三五〇

輸出    八、一〇〇    八、一〇〇        〇

期末在庫   一一、五四二   一一、三六一   △  一八一

原油処理  一一九、四一三  一一七、七六七   △一、六四六

(一般内需用)  (九六、三〇八) (九四、八七九) (△一、四二九)

(単位千キロリットル)

右の「業界計画」は、需給常任で決定した配分量に基づいて総原油処理量及び生産量を算出し、内需は石油連盟の見通しによつたもので、結果的に期末在庫量は従前の石油連盟計画より増加した。これが昭和四七年度下期における業界全体の実際の生産計画の出発点となつた。

10  生産計画変更の届出

精製業各社は、多々井の要請に従い昭和四七年一一月七日業法による生産計画変更届出書を通産省に提出した。小田需給班長及び同班職員は、この計画の集計作業を三菱石油の会議室において、今期の生産調整に協力的だつた同社の従業員斉藤広昭ら及び丸善石油の従業員坂井一郎らに手伝わせて行なつた。

各社の計画の集計結果は、原油処理量合計が一億二一一六万四千キロリットル、燃料油生産量合計が一億〇九一四万二千キロリットルで、原油処理量は通産省の計画本土分を上回るが、全体の得率は90.1パーセントという低いものであつた。また、各社の計画から一般内需用輸入原油処理量を算出した結果によると、各社は概ね多々井の示した通産省用の数量に従つて計画を立てていたが、一部会社はこれよりも少なく、また、共石、シェル各グループ及び出光はこれよりも相当多い計画を立てており、その合計は九八二六万六千キロリットルで、通産省用数量を上回るものであつた。

しかし、小田需給班長はこの集計結果を見て、期末在庫九一〇万四千キロリットルは通産省の需給計画の一一五四万二千キロリットルに二四三万八千キロリットル足りないとし、多々井に対しその不足分の生産量をふやすように指示した。その連絡を受けた被告人脇坂は、同年一一月二一日の需給常任に諮つて生産計画上の得率を上げる方法で対処することとし、多々井が需給課員桑原日出夫をして小田と打合せの上得率向上による増産修正案を作成させ、これを日本石油ほか関係数社に連絡した。右数社は同月末までにこれに従つて一一月七日の計画を修正して改めて生産計画変更届出書を通産省に提出した。これによつて業法計画の集計結果による期末在庫は、通産省の計画とほとんど一致することになつた。

11  生産調整の実施

イ 石油連盟需給課員桑原日出夫は、昭和四七年一一月九日被告人脇坂の意向により需給常任の決定した配分総枠に基づいて昭和四七年度下期の「需給見通し」を作り、多々井が通産省の小田需給班長のもとにこれを持参して説明した。これは、前記一〇月三一日の業界計画に上期の超過処理量や沖縄県から持込みの量等の考慮を加えた実行計画であつて、業法計画とは別個なものである。この後、通産省は、石油連盟需給課の作成した「需給見通し」に従つて生産の指導をしていた。

ロ 同年一一月二一日の需給常任において、被告人脇坂は、同年一〇月三一日の需給常任で予め承認を得ていたとおり、西部石油の石油化学等用のナフサを配分の外枠にしたことによる配分の修正案を提示し、承認された。これによつて配分量及び配分比率が僅かばかり変更され、配分量合計は九四八七万四千キロリットルとなつた。

また、同被告人は右一一月二一日の需給常任において、昭和四七年度上期の生産調整の実績表を提示し、一般内需用輸入原油の配分枠を超過した処理量が合計一三三万七千キロリットルあつたので、過不足調整を行なう旨告げたが、そのうち共石グループの超過処理量が八三万八千キロリットルもあり、調整困難と認められるので、そのうち五八万八千キロリットルを棚上げしたらどうかと提案したところ、出光興産の委員が反対したため決定に至らなかつた。同年一二月一二日の需給常任に至つて共同石油の委員が今後は配分量を守る旨約束し、各社が右棚上げを承認して、右調整問題は結着した。

ハ 需給委員会と営業委員会との各正副委員長の間では前述(第四節五8)のとおり毎月一回位会談が行なわれていたが、同年一二月初旬ごろ行なわれた会談において、営業委員長岡田一幸から、オペックが原油値上げを予告しており、価格を是正しなければならない情勢にあるという話や、ガソリンと灯油の在庫が九月八日の計画より多いので生産を削減してほしいという要望があつた。

ニ 被告人脇坂は、前記一一月二一日の需給常任において同月三〇日までに各社から石油連盟あての下期の生産計画を提出するよう指示してこれを提出させ、更に前記一二月一二日の需給常任において同月一九日までに右計画を修正して再提出するよう指示してこれを提出させ、その後昭和四八年二月六日各社から石油連盟に同年一―三月の月別生産計画を提出させ、そのつど計画の集計結果等の表を需給常任において各社に配布し、各社の生産動向を把握した。そして、昭和四七年一二月五日及び同月二六日の需給常任において同被告人は、右生産計画によると一般内需用輸入原油の処理計画量が配分量を特に多く超過している共石グループ及び出光興産の委員に対し、処理量を配分量の枠内に納めるよう注意を与えた。

ホ 石油連盟需給課員桑原らは、右生産計画集計結果等に基づき昭和四七年一二月四日付、昭和四八年二月九日付及び同月二八日付で「需給見通し」を作成し、多々井がこれらを通産省の小田需給班長らに差し出して需給事情を説明した。

昭和四八年初旬多々井が同月九日付右「需給見通し」を小田に説明した際、小田は右見通しによる灯油の三月末在庫が一〇〇万五千キロリットルとなつているのは通産省の計画一二六万キロリットルと比較して足りないとして、多々井に対し灯油の増産を要請した。多々井はこのことを被告人脇坂に伝え、同被告人は同月九日の需給常任に諮り、灯油の得率を上げることによつて灯油の増産を図ることにした。

同年三月初めごろ、小田から多々井にA重油を二〇万キロリットル増産するよう要請があり、被告人脇坂は同月二日の需給常任において前同様得率を上げてA重油の増産を図るよう依頼し、各グループ又は会社に対する増産量の割当表を配布し、承認された。多々井は、これを通産省に報告した。

同年三月下旬通産省の根岸石油業務課長は、北海道、東北地方において灯油が不足している情況にかんがみ、灯油を更に増産するよう被告人脇坂に要請した。そこで同被告人は、同月二八日の需給常任において業界の原油処理量を三〇万キロリットル増加して灯油を中心に増産を図ることを提案して承認を得、同年四月九日の需給常任において右三〇万キロリットルは昭和四七年下期の配分量に追加することとされ、昭和四七年一一月二一日決定の配分比率により各グループ又は会社に対しその追加配分が行なわれた。

以上のとおり昭和四七年下期中に行なわれた配分量の修正、前期過不足量の調整及び追加配分によつて、同期の生産調整の対象となる原油の最終的な処理可能量合計は九四七七万八千キロリットル(他にアジア共石の新規コンビナート分三七万四千キロリットル)となつた。

12  生産調整の実績

イ 昭和四七年度下期の燃料油国内需要は、昭和四七年一〇月から一二月までの間は、石油連盟の適正需給バランスにおける内需見通し(合計一億一五五一万三千キロリットル)にほぼ一致する度合で推移した。しかし、昭和四八年にはいると、需要がやや増加し、昭和四七年度下期の本土分内需実績は石油連盟が把握した数値が合計一億一七四二万七千キロリットル(チャージベース)となつた。これは、通産省の昭和四七年一〇月二八日付見直し需給計画(本土分)における内需合計一億一六八六万三千キロリットルを約五六万キロリットル上回つている。しかし、灯油の内需実績はかえつて約六八万キロリットル下回つている。

製品在庫(本土分)を見ると、昭和四七年九月末の一三四七万一千キロリットルが昭和四八年三月末には一〇二〇万一千キロリットルと減少し、特に中間三品(灯油、軽油、A重油)の減少が著しい。これは、下期の後半に、景気の回復、公害対策のための燃料の転換などの影響で中間三品の需要の伸びが大きくなつたためであるが、生産調整の効果もあつたと考えられる。

ロ 石油連盟の需給課では、各社が統計法により通産省に提出する石油製品月報に基づいて作られる統計速報によつて各社の月別原油処理実績等を把握し、これから一般内需用輸入原油の処理実績を算出し、これを各グループ又は会社の配分枠と比較して翌期に過不足調整を行なう資料として使用していた。このようにして石油連盟が把握した昭和四七年度下期における各社の生産調整の対象となる原油処理実績合計(アジア共石新規コンビナート用を含む。)は九六七七万二千キロリットルで、最終処理可能量を一六二万キロリットル超過していた。

しかし、各社の統計報告の中には過少又は過大な申告もあつたので、石油連盟の把握した右処理実績は正確なものではなかつた。検察官は、本件の捜査の過程で関係各社に原油処理実績を調査報告させ、その報告書類等を本件の証拠として提出したので、これらに基づき当裁判所が認定した各グループ又は会社の生産調整の対象となる昭和四七年度下期の原油処理実績並びにこれと最終的処理可能量との比較を示すと、次のとおりである。

処理可能量  処理実績   過不足量

日石グループ       一五、三五一  一五、三六二 一一

共石グループ      一二、九八四  一七、〇八一 四、〇九七

(同新規コンビナート用)   (三七四)  (三四五) (△二九)

丸善グループ       七、七八七  七、八四八 六一

シェルグループ       一一、一九七  一一、九四六 七四九

三菱グループ       七、二三〇  七、二六一 三一

出光        一二、五七七  一二、七一五 一三八

大協        三、八六六  三、七五三 △一一三

太陽        一、四四一  一、四五一 一〇

ゼネ石精        四、二六一  四、二七九 一八

日網        一、六八四  一、七六二 七八

東燃        八、六五三  八、七三五 八二

極東        一、六〇四  一、五五五 △四九

九石        二、六六二  二、六三九 △二三

日本海          八六八  八一九 △四九

(以上合計)      (九二、一六五)  (九七、二〇六) (五〇四一)

東邦          九七五  九八三 八

富士興        一、六三八  二、三四二 七〇四

合計        九四、七七八  一〇〇、五三一 五、七五三

(単位千キロリットル)

共石グループの超過処理量は、石油連盟が把握したところでは五二万五千キロリットルだつたが、実際には右のように四〇〇万キロリットル以上もあつたのである。シェルグループも約七五万キロリットルという相当多量の超過処理をしていた。

三昭和四八年度上期の生産調整

1  供給計画

通産省鉱山石炭局石油計画課計画調査班長田村勝則らは、昭和四八年一月下旬ごろから石油連盟需要専門委員会に指示して昭和四八年度の需要予測作業を行なわせ、同作業は同年二月末ごろ終了した。右需要予測に使用した経済指標は経済企画庁が発表した実質国民総生産対前年度比伸び率10.7パーセント等であつた。右作業結果によると、昭和四八年度上期の本土分燃料油内需見通しは合計一億〇四二四万キロリットル(リターンベース)だつたが、石油計画課は例年のとおり右内需見通しのうちナフサ及びC重油の数量をいわゆる需要原局である同省化学工業局及び公益事業局の予測値で置き換え、通産省の上期本土分燃料油内需見通しを合計一億〇三〇〇万キロリットル(リターンベース)とした。通産省は、右内需見通し等による需給計画等に基づいて昭和四八―五二年度石油供給計画を策定し、昭和四八年三月一四日開かれた石油審議会に諮問して同月下旬これを告示した。

右供給計画の基礎となつた昭和四八年度上期需給計画中の燃料油合計の需給並びに沖縄三社の計画等に基づく同期の沖縄県の需給見通し及びこれを用いて右需給計画を本土分に引き直したものは、次のとおりである。

供給計画    沖縄県需給      本土分

四八年三月末在庫   一〇、六七八      五七七    一〇、一〇一

生産  一〇九、五九六    四、六四六   一〇四、九五〇

(得率)  (92.00)  (92.00)  (92.00)

輸入    九、六八〇        〇     九、六八〇

沖縄から本土へ             二、九七四     二、九七四

本土から沖縄へ                二一       二一

内需  一〇三、六五四      六五四  一〇三、〇〇〇

輸出   一〇、〇七八    一、〇三九     九、〇三九

四八年九月末在庫   一六、二二二      五七七    一五、六五四

原油処理  一一九、一二六    五、〇五〇  一一四、〇七八

(単位千キロリットル)

2  石油連盟の適正需給計画

イ 被告人脇坂は、昭和四八年二月二二日需給常任を開催し、昭和四八年上期にも前期に決定した配分比率を用いて生産調整を行ないたい旨提案し、次回までに各社の回答を求めたが、共同石油の委員早猛力は、生産過剰を来たしている高硫黄分のC重油については問題が残るが、需給情勢から見てこれまでのような生産調整はやめたらどうかと述べた。しかし、次回の三月二日の需給常任では、同被告人の提案どおり前記比率で生産調整を行なうべきであるというのが多数の委員の意見であつた。

石油連盟には、昭和四一年七月二一日の「石油連盟の機構改正に伴う運営方針」により会長の諮問に答える少数の常任理事が置かれたが、昭和四六年ごろこれが廃止され、これに代つて千代田会という会合が設けられ、当初は石油連盟会長の経験者が、その数か月後からは出光、日石、大協、丸善、共石、三菱、昭石などの大手の会員会社の社長が会員となつて定例的に集まり、会長が会員の意見を聞き、相談する機関としての役割を果していた。被告人脇坂は、昭和四八年三月七日開かれた千代田会に出席し、前記のように昭和四八年度上期にも前期比率により生産調整を行ないたいという方針を説明して了承を得、この旨を需給副委員長小貝谷、事務局業務部長代理多々井全二らに伝えた。

ロ 多々井及び業務部需給課員桑原日出夫らは、同被告人の意向に従い、前記需要専門委員会の内需見通し等に基づいて同年三月二二日付の「四八年度上期需給見通し」を作成した。右見通しの燃料油合計の需給は次のとおりである。

四八年三月末在庫 一〇、二五一

生産 一〇五、〇一九

(得率) (92.00)

輸入 一〇、二三〇

沖縄から持込み 四三五

内需(リターンベース)一〇二、八一四

(同チャージベース)(一〇四、〇一四)

輸出 九、一一七

四八年九月末在庫 一四、〇〇四

原油処理 一一四、一五一

(単位千キロリットル)

右見通しにおいて、C重油の需要については、電力会社の原油生だきの見込みを考慮して、需要専の見通しのうち一二〇万キロリットルを上期から下期に移した。また期末在庫については石油連盟の判断した「適正在庫」を採用し、灯油の期末在庫は下期の需要を考慮に入れて通産省の需給計画が必要としている四五日分(三七三万一千キロリットル)を超える五七日分(四七三万キロリットル)を確保することにしたが、ナフサ及びC重油の期末在庫は従来の方式により、通産省の需給計画より少なかつた。

この需給見通しを前記供給計画を本土分に引き直したものと比較すると、内需及び期末在庫は供給計画より若干少ないが、沖縄からの持込み量等の関係で、生産量及び原油処理量は逆に若干多くなつている。全体として見ると、両者には大差がないということができる。被告人脇坂及び多々井は、同年四月初めごろ、通産省鉱山石炭局石油業務課を訪れ、右の石油連盟の需給見通しについて同課長根岸正男に説明し、その了承を得た。

需給課では、右需給見通しに基づき同年四月二日付で「四八年度上期月別適正需給計画」を作成した。それによると、前記原油処理量から算出した一般内需輸入原油処理量(配分総枠)は八九七六万七千キロリットルであつた。被告人脇坂は、同年四月二日丸善石油で需給常任を開催して右需給計画を配布し、右総枠に基づき生産調整を行なう方針を説明して承認を受けた。

3  需給常任の配分決定(公訴事実第二にあたる行為)

被告人脇坂は、昭和四八年四月初めごろ小貝を介して石油連盟会長たる被告人瀧口に前期の比率で生産調整を行なうことについて了承を得た上、前期同様需給常任において石油連盟の業務として、前記上期の一般内需用輸入原油処理量を総枠として配分を行なうことにした。

そこで被告人脇坂は、需給課に前記総枠に基づく配分案を作成させたが、その際、昭和四八年度上期中に設備能力の増加する日本海石油の要望を容れ同社の生産する石油化学等用ナフサを他社同様生産調整の外枠とすることにしたので、需給課では昭和四七年一一月二一日決定の前期配分比率を計算し直し、各社の配分比率には前期比率と僅かな差が生じた。

同被告人は、昭和四八年四月九日石油連盟事務所会議室において需給常任を開催した。出席者及びその所属は次のとおりであつた。

委員長   丸善グループ   丸善石油   被告人 脇坂

副委員長   日石グループ   日本石油   小貝谷

委員   共石グループ   共同石油   早猛力

副委員   同         同          池上穂

副委員   シェルグループ   シェル石油   玉城英俊

同         昭和石油   奥村英弘

副委員   三菱グループ   三菱石油   斉藤広昭

副委員             出光興産   大場謙一

委員             大協石油   牧野隆明

委員             太陽石油   上山貴行

副委員             ゼネラル石油精製   陣勝久

委員             日網石油精製   土井澄

副委員             東亜燃料工業   豊田乾

委員             極東石油工業   竹田正明

委員             九州石油   荻野慶次

副委員             日本海石油   西村孜

事務局業務部長代理                   多々井全二

右需給常任において昭和四八年度上期の前記配分案は出席委員、副委員に異議がなく、決定された。その内容は次のとおりである。

右表の日石グループから日本海までの配分量は、起訴状別紙割当一覧表中「昭和四八年上期分」と同一である。

なお、右需給常任では前記(本節二11ホ)のように昭和四七年度下期分の追加配分も行なわれたのである。

配分量(単位千キリツロトル)  配分比率

日石グループ   一四、四六〇    16.108

共石グループ   一二、七四九    14.202

丸善グループ   七、三二三     8.158

シェルグループ   一〇、五一六    11.715

三菱グループ    六、八三四     7.613

出光      一一、九三四    13.295

大協       三、六五八     4.075

太陽       一、三五六     1.511

ゼネ石精       四、〇五三     4.515

日網       一、五八五     1.766

東燃       八、一四一     9.069

極東       一、五二二     1.695

九石       二、五八九     2.884

日本海         七一五     0.796

(以上合計)   (八七、四三五)  (97.402)

東邦         九一七     1.022

富士興       一、四一五     1.576

合計      八九、七六七   100.000

また、右需給常任において多々井は、通産省の指示につ基づき、業法計画を届け出る前に昭和四八年四月一六日までに石油連盟に上期の生産計画を提出するよう要請した。

4  生産計画の届出

イ 右要請により昭和四八年四月一六日石油連盟に提出された昭和四八年度上期の生産計画は、各社が一般内需用輸入原油処理量については前記配分量に従い、これに製品輸出量及び石油化学等用ナフサ生産量相当量並びに国産原油処理量を加えたものを原油処理量として作成したもので、需給課が集計した結果では総原油処理量が一億一四五九万九千キロリットルとなり、前記供給計画(本土分換算)、適正需給計画のいずれをも上回つていたが、得率が90.31と低く、燃料油の生産量は合計一億〇三四九万五千キロリットルでこれらより少なかつた。そこで被告人脇坂は、通産省の意向により、多々井らと相談して、右原油処理量に従い、得率を供給計画のとおり92.00として計算し、生産量を一億〇五四三万一千キロリットルとした同年四月一八日付の「昭和四八年度上期需給見通し」を需給課に作成させ、同月一八日小貝、中島各副委員長及び多々井と共に通産省を訪れ、石油業務課長根岸正男及び石油計画課総括班長角南立に対し右見通しを示して説明したところ、根岸は「供給計画が出来てすぐではあるが、中間留分の需給が供給計画以上に伸びそうなので、もつと増産してもらいたい。とりあえず四月から六月までを見たいから、計画を出し直してもらいたい。増産体制(各社への配分を意味する。)についてはお任せする。」旨要請し、今後毎月需給動向を見て生産目標につき協議することを同被告人と合意した。

そこで同被告人は、同年四月二三日需給常任を開催し、通産省の要請を伝え、四―六月の生産計画提出を指示した。各社は中間留分の生産量をふやした四―六月の生産計画を作成して同年四月二六日石油連盟に提出し、同連盟需給課ではこれを集計して同日付の「四八年四月―六月需給見通し」を作つた。

各社の業法による生産計画も、右の計画数量に基づいて同年四月二六日までに通産省に提出された。その集計結果では、本土分の総原油処理量が一億一六九七万七千キロリットル、燃料油生産量が合計一億〇六四五万キロリットルとなつた。

被告人脇坂は、同年五月一〇日ごろ前記各副委員長及び多々井と共に通産省を訪れ、根岸課長らに前記四―六月需給見通しを説明し、その了承を得た。

ロ 根岸課長は、被告人脇坂に対する要請とは別に、同年四月下旬ごろ共同石油取締役仕入部長早猛力(需給委員)に対し増産の要請をした。早猛は共石グループにおいて中間三品三〇万キロリットルを増産する旨回答して了承を得たので、共石グループは同年四月二六日の前記四―六月計画において一般内需用原油処理量が同年四月一六日の計画と比べ一三五万キロリットル多い計画数量を提出した。

5  生産調整の実施

イ 各社の前記昭和四八年四月二六日付四―六月生産計画の集計によると、一般内需用輸入原油処理量合計が同年四月一六日付計画の四―六月分と比べ一八五万キロリットル超過していた。

そこで被告人脇坂は、小貝、中島と協議して生産調整の総枠を一八〇万キロリットル増加し、これを当初配分の比率で追加配分することとし、多々井に指示して資料を作成させた上、昭和四八年五月一一日需給常任を開催した。

右需給常任には通産省鉱山石炭石油業務課需給班商務係長西川宗吉が出席し、沖縄からの持込みに伴う関税割当返上分を再使用して各精製業者に重油の輸入を認める方針について説明した。そのあとで被告人脇坂は、一八〇万キロリットルの追加配分について需給常任の承認を得、更に前記のとおり一三五万キロリットルの増処理を計画している共石グループに対し、同日の追加配分量を超える一一〇万キロリットルを七―九月で調整するように指示したが、共石グループから出席していた近藤三郎は、通産省の指示による増処理であるから調整できないと返答した。これに対し二、三の他社の委員は、共石グループだけが枠外の処理を認められてフル生産するのはおかしいと主張した。結局次回に共石の需給委員早猛力に出席してもらうことになつた。また、この需給常任では昭和四七年度下期分の過不足調整を行なうことがきまつた。提示された超過処理量合計は一六二万一千キロリットルであつた(後に一六二万キロリットルと訂正)。

ロ 次回の昭和四八年五月一四日の需給常任には早猛が出席し、通産省から直接命令を受けて増産しているのだから共石グループの増処理分一三五万キロリットルは生産調整と別枠にしてもらいたいと主張して、論議が行なわれたが、前回同様他社の反撥が強かつたので、早猛も七―九月で調整することを一応了承し、内部で相談すると述べた。しかし、同月一六日早猛は被告人脇坂に対し、グループ各社が通産省の指示を受けて既に増処理しているのでグループ内の調整がつかないと回答した。

このように共石グループの増処理問題が紛糾したので、被告人脇坂は通産省を交えた三者会談で話し合つて解決しようと考え、同年六月一日都内のパレスホテルで通産省の根岸課長、石油連盟の被告人脇坂、小貝、共石の早猛らが会合した。被告人脇坂は、根岸に対し、一部の会社に増産を命じて業界の秩序を乱すのは困ると苦情を言つた。根岸は、脇坂と早猛との板ばさみになつて具合の悪い立場に立たされたが、「通産省としては増産指導はしたが、各社間の問題にはかかわりたくない。共石も業界と協調して超過分の調整に努力し、できない分はまた委員長に頼んでみたらどうか。通産省は業界内の生産調整には表面上ノータッチである。」旨述べ、早猛も超過処理の調整に努力すると述べて、一応円満に会談を終つた。

ハ 一方、通産省石油計画課では、計画調査班長田村勝則が需要増加の情勢にかんがみ、同年五月中から石油連盟需給課の桑原日出夫と連絡し、需給専門委員会の数名の委員に依頼して簡便な方法による期中の需要見直し作業を行なわせた。六月中旬に出た右見直しの結果によると、本土分の上期内需は一億〇八三六万六千(リターンベースでは一億〇七三〇万三千)キロリットルで、当初の需要専予測と比べ三一五万二千キロリットルの増加となつた。

石油連盟需給課は、右需要見直しに基づいて同年六月二〇日新たな需給見通し及び「修正適正計画(六月二一日付)」を作つたが、右計画によると一般内需用輸入原油処理量は九四九九万五千キロリットルとなり、四月二日付の適正計画と比べて五二二万八千(五月一一日の追加配分量を差し引くと三四二万八千)キロリットルの増加となつた。被告人脇坂は、右一般内需用輸入原油処理量に各社の前期超過処理量合計一六二万一千キロリットルを加えたものを新たな総枠とし、増加分合計五〇四万九千キロリットルの追加配分を行なうこととし、同年六月二一日需給常任を開催し、右追加配分について承認を得、これに基づいて同月二五日までに月別生産計画を石油連盟及び通産省に提出するよう指示した。

ニ 被告人脇坂は同年六月二八日需給委員会委員長の職を退き、代つて三菱石油常務取締役武信光が同委員長に就任した。またそのころ、同委員会副委員長には小貝、中島に代つて日石取締役湯淺正治が就任し、また需給委員には原則として各社の専務又は常務取締役をあてる方針がきまり、各社の需給委員の交代が行なわれた。更に武信委員長の方針により、同年七月五日の需給常任を最後として、需給委員会は従来の需給常任という形態の会議を廃止し、需給委員全員を招集する会議で生産調整に関する事項をも審議、決定することとされた。

ホ 同年六月二五日石油連盟に提出された生産計画によると、上期の一般内需用輸入原油処理量において、共石グループが一五〇万七千、シェルグループが八〇万三千キロリットル配分枠を超過していたので、武信委員長は同年七月五日の需給常任で処理量を枠内にとどめるよう指示した。

武信委員長は、就任後直ちに三菱石油の斉藤広昭を座長とし、各社の若手社員から成るスタディチームを発足させて需給事情の調査、適正需給バランス策定等の当らせた。

これより先、通産省石油業務課の小田需給班長は、中間留分を中心とする需要の伸びは前記需要専の予測を上回るとの独自の判断に基づき同年六月二三日付で「四八年度上期需給バランス(試案)」を作り、石油連盟に検討させた。同試案は、需要専見直しに基づく石油計画課の供給計画見直し案と比べ、上期内需において二〇九万七千キロリットルも差のあるものだつた。スタディチームは両者を比較検討し、種々の調査をして同年七月四日付で上期及び下期の需給見通しを作成した。武信、湯淺、斉藤らは同年七月五日これらの資料を持つて通産省を訪れ、根岸、小田、田村と協議した。その際、根岸は小田の前記試案の需要を約七〇万キロリットル少なく修正した需給バランスを口頭で説明したが、更に実績を見た上で協議することになつた。

武信は同月九日需給委員会を開催して需給問題を協議した。この日にも前記共石グループの超過処理問題が論議されたが、結論は出なかつた。

スタディチームは、武信の指示によりその後更に内需の見直しをして、同年七月二〇日付で「四八年度上期需要バランス(本土分)」を作つた。これによると内需は一億〇九七四万七千キロリットルに増加し、一般内需用輸入原油処理量は九七三三万四千キロリットルとなり、六月二一日付の修正適正計画を二三三万八千キロリットル上回つた。そこで武信は同月二三日需給委員会を開催し、同委員会は右二三三万八千キロリットル追加配分した。この追加配分によつて共石グループの同年七月一二日付一般内需用処理計画による下期の超過量は七四万一千キロリットルに減少したが、七月三〇日の需給委員会でその半分を棚上げすることが承認された。

武信は、更に同年八月一三日各社から八、九月の生産計画を提出させて生産動向を把握した。

処理可能量     処理実績     過不足量

日石グループ   一五、七一六   一五、六九四      △二二

共石グループ   一三、三四三   一六、四〇六    三、〇六三

丸善グループ    七、九四四    七、五五三     △三九一

シェルグループ   一一、二〇〇   一二、一三四      九三四

三菱グループ    七、四三八    七、四二〇      △一八

出光      一二、七七二   一三、〇八一      三〇九

大協       三、九五〇    三、六〇七     △三四三

太陽       一、五〇四    一、三三七     △一六七

ゼネ石精       四、四四五    四、〇四八     △三九七

日網       一、六八二    一、七〇六       二四

東燃       八、七八〇    八、九七三      一九三

極東       一、七〇四    一、七三〇       二六

九州       二、八四〇    二、八二四      △一六

日本海         七八〇      七七九       △一

(以上合計)   (九四、〇九八) (九七、二九二)  (三、一九四)

東邦       一、〇三〇    一、〇二四       △六

富士興       二、二〇六    二、二六七       六一

合計      九七、三三四  一〇〇、五八三    三、二四九

(単位千キロリットル)

同年八月一六日の需給委員会には資源エネルギー庁石油部精製流通課長となつた根岸が出席し、「このまま増産を続けるとガソリン、ナフサ、C重油が過剰になる。需給、営業両委員長にもお願いしているが、業界各位もガソリン、ナフサの生産の灯油への移行を極力進められたい。」旨要請した。

6  生産調整の実績

イ 昭和四八年度上期の燃料油内需は上昇を続け、その内需実績は合計一億〇八二〇万六千キロリットルとなり、供給計画の基礎となつた内需見通しを約四五五万キロリットル上回つた。ほとんど各油種とも供給計画を上回つたが、特に灯油、軽油の増加が大きかつた。生産量もそを超えて上昇し、燃料油の生産実績は合計一億一六三九万九千キロリットルとなつて供給計画を約六八〇万キロリットル上回り、特に灯油、軽油の増加が著しく、その得率も上昇した。製品在庫を見ると、昭和四八年三月末の合計一〇六一万五千キロリットルが同年九月末には一七四〇万六千キロリットルと増加し、灯油の期末在庫は五五〇万九千キロリットルで供給計画を約一七五万キロリットルも上回つた。(以上の数量は、資料の関係で沖縄含み、内需リターンベースである。)通産省の増産指導の効果は顕著であつたということができる。

ロ 生産調整の対象となる原油処理の実績及びこれと最終的処理可能量(当初配分量に前期過不足調整及び三回の追加配分を施したもの。ただし、共石グループの棚上げ分三七万一千キロリットルは含まない。)との比較は、次のとおりである。実績は、前期同様石油連盟の把握したものではなく、検察官が本件捜査の過程で収集し、証拠として提出した資料に基づき当裁判所が認定したものである。

三次にわたり合計九一八万七千キロリットルに及ぶ追加配分が行なわれた関係もあつて、右のように処理実績が処理可能量に達しない会社もかなりあつた。しかし、共石グループは約三〇六万、シェルグループは約九三万キロリットルという多量の超過処理をしていた。なお、石油連盟の把握した右各グループの超過処理量は、前者が五九万一千、後者が五二万六千キロリットルであつた。

四競争の実質的制限

1  配分決定の拘束力

前記の昭和四七年一〇月三一日及び昭和四八年四月九日における本件配分決定は、その対象となる石油精製業者各グループ又は会社に対し当該期間中に処理する原油量のうち一般内需用輸入原油処理量を配分量に制限するものであり、実際上は右原油処理量が配分量を超えてはならないという抑制的な面にその意義があつた。

そして、右配分決定は、石油連盟の決定として、その会員から成る前記五グループ九社(東邦石油、富士興産を含まない。)に対し、これに従わなければならないという事実上の拘束力をもつていた。

精製業者は、石油業法により通産省に対する生産計画及びその変更の届出を義務づけられており、そのほかにも通産省及び石油連盟から月別生産計画等の提出を求められていたことは前述のとおりであるから、前記原油処理量の制限は、さしあたり生産計画上の数量の制限として作用した。もつとも、昭和四七年一一月七日の生産計画変更届は、前述のとおり配分量そのものに基づくものではないが、それと同じ比率で割り当てられた、これより若干多い「通産省用」の一般内需用輸入原油処理量に基づくものであつた(本節二9イ、10)。

昭和四七年度下期及び昭和四八年度上期は、各精製業者が右のような制限を受けることなく生産計画を立てたならば、その計画による一般内需用輸入原油処理量の合計が当初配分量の合計(配分総枠)を相当上回り、ひいては総原油処理量が石油連盟の需給計画を超過する情勢にあつた。このことは、次のような事実から推認することができる。

即ち、沖縄県を除くわが国内の石油精製設備設計能力(帝石トッピングを含む。)は、昭和四七年度下期には一日四六八万九三六〇バーレル、昭和四八年度上期には前記行政指導(四節五7)に従い新増設設備能力を五〇パーセントとして一日四八〇万〇八六〇バーレルであつたところ、右各期の当初配分総枠の根拠となる石油連盟の需給計画(本節二9ロの昭和四七年一〇月三一日付業界計画、同三2ロの昭和四八年四月二日付適正需給計画)における総原油処理量は、昭和四七年度下期の当初配分において一億一七七六万七千キロリットル(前記設計能力に対する稼働率約86.8)、昭和四八年度上期の当初配分において一億一四一五万一千キロリットル(同稼働率約82.2)であつたから、全体として見れば設備に余裕のある数量であり、会社によつては稼働率がこれよりかなり低くなるのである。他方、通産省の小田需給班長が昭和四七年一〇月二三日内需処理規模は各社の任意として提出を指示した同月二七日付の昭和四七年度下期分の暫定的な生産計画(本節二7イ)を集計した結果では、総原油処理量は一億二五三九万七千キロリットル(前同稼働率約92.4となる。)で、前記同月三一日付石油連盟計画を七六三万キロリットル、約6.5パーセントも上回つていた。また、これを通産省の同年一〇月二八日付需給計画(本土分)(太節ニ7ロ)の一億一九四四万一千キロリットル(前同稼働率88.0)と比較しても、これを五九五万六千キロリットル、約5.0パーセント上回つていた。もつとも、右暫定的計画における内需用燃料油生産量合計は、通産省の計画を二二一万八千キロリットル、約2.2パーセント上回るにすぎなかつたのであるから、右計画の前記総原油処理量には若干水増し分が含まれていることも考えられるが、各社が自由に生産計画を立てた場合石油連盟の計画を相当上回つたであろうことは確かである。

したがつて、本件各配分決定は、まず期初において各社が業法計画を作成するについて抑制作用を及ぼしたのであるが、期中においても、需給委員長は、各社から石油連盟あてに提出させた月別等の生産計画に基づき、配分量を著しく超える原油処理計画を立てているグループ又は会社に対し、需給常任において配分量を守るよう注意していた。また、特に多量の処理計画を提出した会社に対しては、他社の委員が非難することもあつた。

他面、通産省も各社が生産計画に従つた生産を行なうことを要望していた。通産省は、各社から業法計画の届出を受けるほか、石連フォームによる月別等の生産計画を提出させ、また前月の原油処理、生産実績及び在庫量等を報告させ、生産調査委員会において生産動向を調査、監視し、超過処理を注意するなどして、個別に、又は石油連盟を介し生産指導を行なつていた。もつとも、昭和四七年度下期及び昭和四八年度上期には中間留分増産の指導が多かつたことは、前述のとおりである。したがつて、精製業者の原油処理量は、通産省及び石油連盟の両面から制限を受けていた。

更に、石油連盟では、需給課が各社の一般内需用輸入原油処理実績を調査し、これを配分量(正確に言えば処理可能量)と比較して過不足量を算出し(本節二12ロ)、前述のとおり昭和四七年度下期、昭和四八年度上期とも前期の過不足量に基づいて需給委員長が需給常任において過不足調整(本節一4)を行なうことを指示し、承認させていた。

右のような需給常任における需給委員長の注意や過不足調整の措置によつて本件配分決定は拘束力を保障されていたが、生産調整の実績(本節二12ロ、三5ロ)を見ると、本件各配分決定は必ずしも十分に守られていなかつた。もちろん、かなり正確にこれを守つたグループ、会社や処理実績が処理可能量に達しなかつたグループ、会社もあつたが、前記のように共同石油グループの超過処理量はすこぶる多量であつたし、シェルグループの超過処理量も少なくなかつた。東邦石油、富士興産を除く全体の超過処理量を見ても、昭和四七年度下期には五〇四万一千キロリットル、昭和四八年度上期には三一九万四千キロリットルで、それぞれ処理可能量の5.5パーセント、3.4パーセントにあたる。これは石油連盟が当時把握した数量よりもはるかに大きい。それは各社の統計報告の中に過少申告があつたためである。

共石グループも、建前としては配分決定を遵守すべきものとして受け取り、その代表需給委員は、これを守るよう努力すると言明していた。同グループが配分量を右のように大幅に超過したのは、設備能力の割に配分量が低く抑えられていたこと、グループ内の統制をとることが困難だつたこと、昭和四八年度上期には通産省が同グループに対し個別的に増産を要請したこと(本節三4ロ)などの事情によるものであるが、それにしても同グループは、結果的には配分決定を守つたとはいえない。

右のような事実から見て、本件各配分決定の拘束力は、さして強いものではなかつた。

2  製品販売競争の制限

前述のとおり、本件各行為は、沖縄県を除くわが国内の精製設備能力の九七パーセント余りを占める設備を保有する石油精製業者から成る五グループ九社に対し、各自の、したがつてまたその合計の一般内需用輸入原油処理量を制限したものであり、その制限の対象となつた原油処理量(配分総枠)の総原油処理量(石油連盟計画)に占める割合は、昭和四七年度下期には約78.5パーセント、昭和四八年度上期には約76.6パーセントであつた(東邦石油、富士興産を含めた場合については本節一3)。このような原油処理量が前述のようにある程度の拘束力をもつて制限されたことより、右五グループ九社における一般内需用の石油製品の生産量も相当程度抑制された。

もちろん、原油処理量の増減は、それと全く同じ比率で各石油製品の生産量の増減をもたらすとは限らない。原油の種類及びその組合せを変更することにより各留分の得率を変動させることが可能であるし、精製工程においてナフサと灯油、灯油と軽油の間などである程度得率を変動させることもできるから、精製業者は需要構造に応じ適切な得率を得るように努めるべきである。しかし、得率の変更には限界があり、全体の得率が急激に変化するものではないから、本件における原油処理量の制限は、全体としてはもちろん、会社別にも概ね、一般内需用の各製品の生産量及びその合計をある程度減少させるものであつた。もつとも、ガソリンについては、技術的には石油改質装置の能力の及ぶ限りナフサからこれを生産することが可能であり、石油分解装置を備えている業者はこれによつてガソリンの生産量を増加させることができるから、原油処理量の制限だけでその生産を計画に適合するように抑制するのは困難である。そのため、ガソリンの生産、販売については別段の調整措置がとられていた。しかし、精製業者は、燃料油油種別生産量等について業法計画、月別生産計画、毎月の生産実績等を提出しなければならず、これに基づいて通産省及び石油連盟から各油種の生産量についても指示を受けていたのであるから、このことと結び付いて、本件原油処理量の制限は、基本的にはガソリン生産量の抑制にも役立つものであつた。

このような石油製品の生産量の抑制は、元売業者間の販売競争を減少させる効果をもつものである。燃料油はその性質上在庫量に一定の限度があるから、生産が需要に比して比較的僅かでも過剰になると、元売業者は売り急ぐ必要に迫られ、いわゆる業転(業間転売)物が多く出回ることにもなり、競争が激化する。各精製業者の生産量を抑制することは、この状態を緩和し、競争を減少させる方向に作用する。

このように、本件各行為は、沖縄県を除くわが国における全体としての石油製品市場において、元売業者間の一般内需用各石油製品の販売競争を全体として見て、その競争機能を減退させ、有効な競争を期待することがほとんど不可能な状態をもたらす効果をもつものであつた。このようにして、被告人瀧口、同脇坂は、小貝谷らと意思を共同して本件各行為を行なうことによつて、右取引分野における競争を実質的に制限した。

第五証拠の標目〈省略〉

第六構成要件該当性

一総説

被告人瀧口、同脇坂が前記のとおり小貝谷らと意思を共同して、被告人石油連盟の業務に関し、昭和四七年一〇月三一日及び昭和四八年四月九日の二回にわたり需給常任委員会において、石油精製業者五グループ及び九社に対し一般内需用輸入原油処理量を配分してそれぞれの右原油量を制限し、これによつて一定の取引分野における競争を実質的に制限した各所為は、いずれも昭和五二年法律第六三号による改正前の(同法附則九条により改正前の規定が適用される。)私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律八九条一項二号、九五条二項、八条一項一号、刑法六〇条に該当する。以下、右所為の構成要件該当性に関する主な問題点について説明する。

二本件罰則における行為主体

独占禁止法八条一項本文は「事業者団体は、左の各号の一に該当する行為をしてはならない。」と定めている。したがつて、これは、法人であると否とを問わず「事業者団体」に対する禁止規定であり、同法が本来事業者団体を右規定の定める違反行為の主体と見ていることは明らかである。しかし、団体の行為とされるものは実際には自然人の行為によつて行なわれるのであるから、前記行為をしてはならないという法規範が一定の自然人にも課せられていることはいうまでもない。そうして、同法の罰則については刑法の一般原則が適用され、いわゆる両罰規定等、自然人が違反行為をしたときに法人その他の団体に刑を科する旨の明文の規定がある場合を除き、犯罪となるのは自然人の行為だけであると解すべきである。したがつて、同法八九条一項二号にいう「第八条第一項第一号の規定に違反して一定の取引分野における競争を実質的に制限したもの」とは、事業者団体自体ではなく、前記法規範に反し、事業者団体が同法八条一項一号に違反したことになるような行為をした自然人を指すものと解しなければならない。そして、事業者団体が法人でない場合については同法九五条二項が「法人でない団体の代表者、管理人、代理人、使用人その他の従業者がその団体の業務又は財産に関して、第八十九条(中略)の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか(以下略)」と定めているのは、右の趣旨を明らかにするとともに、自然人を処罰する範囲及び要件を定めて構成要件を補充したものと解することができる。石油連盟の需給委員会委員長である被告人脇坂が需給常任を主宰し需給委員らと共に実行した前記各配分行為即ちいわゆる生産調整が従前から反復継続されてきた石油連盟の業務に属することは前認定のとおりであるから、同被告人は事業者団体である石油連盟の業務に関して本件各違反行為を行なつたものであり、石油連盟の会長である被告人瀧口も右業務に関して被告人脇坂らと意思を共同してこれを行なつたものというべきである。

三数量の制限

独占禁止法八九条一項二号は「第八条第一項第一号の規定に違反して一定の取引分野における競争を実質的に制限したもの」と定め、その行為の具体的態様について直接規定していないが、同法八条一項一号は、複数の事業者が共同行為により不当な取引制限を行なうことについての同法三条の禁止規定を補充して、事業者団体が事業者に右共同行為を行なわせ、又は事業者と共同してこれを推進するなどこれに関与し、あるいは団体の支配力をもつて個々の事業者の社業活動を拘束することによつて不当な取引制限を行なうことを禁止するためめの規定であるから、同法八九条一項二号の行為は、不当な取引制限の定義規定である同法二条六項の掲げる各種の行為と同様の行為態様を予定しているもの、即ち「対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等」事業活動を拘束するという行為態様によつて行なわれるものと解するのが相当である。

本件で問題になるのは右のうち数量の制限であるが、右「数量」は販売数量だけでなく、生産数量又は原料使用数量を含むと解すべきである。なぜなら、右規定中の「技術、製品、設備」が販売に関するものだけでなく、生産過程に関するものを含むことは事柄の性質上明らかであるから、「数量」について別異に解すべき理由はなく、また、原料の数量の制限が生産数量の制限を、生産数量の制限が販売数量の制限をもたらすことは経験上明ららである。このことは、また、同法一条が「生産、販売、価格、技術等の不当な制限」を排除する意図を明示していることからも明らかである。したがつて、本件の一般内需用輸入原油処理量の配分、即ち五グループ九社に対する右処理量の制限行為は、数量の制限に該当する。

弁護士らは、配分の対象となる原油処理総量は国が告示する石油供給計画に基づき通産省と需給委員長らが共同して策定するのであり、配分行為は石油業法上の制度の運用として国の付託により需給委員長らが行なつているのであるから、本件生産調整は石油連盟の意思で原油処理量を左右しているものではないと主張する。しかし、前記認定のとおり本件原油処理量の各配分総枠及びその配分は、被告人脇坂らが石油連盟の業務に関し需給常任において決定したものである。もつとも、その基礎となる需給計画は事後的にせよ通産省が了承したものであるから、このような手続で供給計画を実質的に変更することが適法であるかどうかは別として、通産省が行なつた供給計画の見直しと同視することができる。しかしながら、供給計画は、国が望ましいと考えるわが国全体の生産数量等を示すだけであつて、各精製業者が指針とすることを業法が期待しているものではあるが、個々の業者に対し一定の生産数量ないし原油処理量を指示するものではなく、もちろん何らかの割当数量に従うべき法律上の義務を課するものではない。本件各配分行為は、一般内需用輸入原油の処理について各業者又はそのグループに一定の制限量を指示し、その制限に従うようその生産活動を拘束したものであるから、供給計画の制度が本来備えているある程度の制限作用を一段と強化する独自の数量制限を行なつたものというべく、それが被告人脇坂らの石油連盟の業務としての行為であることは前認定のとおりである。

四一定の取引分野

検察官は、起訴状において、被告人らは「わが国の原油処理に関する取引分野」における競争を実質的に制限したと主張し、論告において、石油業界においては原油処理量の拡大をめぐり激しい競争が行なわれていたのであつて、競争の行なわれている一つの場として原油処理の分野が存在したから、右分野が「一定の取引分野」即ち競争の行なわれている市場にあたると述べている。これに対し、弁護人は、原油処理とは石油製品製造過程における一工程にすぎず、取引市場を形成するようなものではないから、「原油処理の取引分野」なるものは存在せず、石油業界に存在する取引分野は、各製品ごとに、地域別に、各取引段階で形成されている市場だけであり、石油製品全体としての取引市場も形成されていないと主張する。

そこで考えるに、なるほど原油処理とは原油を精製するため蒸留装置にかけることであるから、原油処理そのものの取引分野というものを考えることは困難である。精製業者間に原油処理の競争が行なわれていたことは前記認定から明らかであるが、それ自体は取引分野における競争とはいえない。しかし、原油の処理は商品たる石油製品の生産を目的として行なわれるのであり、前記認定のとおり、生産された石油製品は大部分、精製業を兼ねているか又はこれと提携している元売業者によつて販売されるのであつて、元売業者間には販売競争が行なわれ、その競争の行なわれる市場が形成されている。この市場は石油製品の種類ごとなどに細分されているが、沖縄県を除く国内の元売業者間の販売競争が行なわれる全体としての石油製品市場もまた存在し、これをひとつの取引分野として把握することができる(第四第三節二1)。

本件各行為は、それが沖縄県を除くわが国のほとんどすべての精製業者に対し原油処理量を制限したものであること、その他既に認定したその規模、態様及び効果にかんがみると、右のような全体としての石油製品市場における競争を実質的に制限したものと認められるので、右の市場が「一定の取引分野」に該当すると解するのが相当である。本件公訴事実を合理的に解釈すれば右の趣旨を含むものと解することができるから、右認定は訴因を逸脱したものではない。

五競争の実質的制限

前記罰則は「一定の取引分野における競争を実質的に制限する」ことを構成要件としているが、この行為は、具体的態様としては前述のとおり事業活動を拘束する行為(本件では原油処理量の制限行為)によつて行なわれる。したがつて、一定の取引分野における競争の実質的制限は、右具体的行為との関係においては結果であるが、その結果は、いわば右具体的行為自体に包蔵され、その拘束力の発生により直ちに生ずる性質のものである。その意味で、これを効果ということもできる。

このように事業活動を拘束する行為のもつ効果としての競争の実質的制限とは、一定の取引分野における競争を全体として見て、その取引分野における有効な競争を期待することがほとんど不可能な状態をもたらすことをいうものと解するのが相当である。

石油製品の市場においては、石油業法による規制及び同法の運用として又は同法を背景として行なわれる行政指導等により既に広汎な競争制限措置がとられていたことは前記認定(第四第三節)のとおりであるが、その制限の下でなお有効な競争が行なわれていたものと認められる。本件各行為が、このような状態にある前記取引分野において、元売業者間における一般需用各石油製品の販売競争の競争機能を減退させ、右の意味においてその競争を実質的に制限したものであることは、既に認定した(第四第五節四)とおりである。

第七違法性

一総説

弁護人らは、被告人脇坂は、石油業法の運用の一環として、特に同法の定める石油供給計画制度の実施として、通産省から原油処理量配分の実務遂行の一端を任されて、いわば通産省の代行者として本件配分の作業に携わつてきたのであるから、この行為は、通産省の行なう石油業法執行の一環に位置づけられるものであつて、その目的において正当性を有し、石油製品の安定的かつ低廉な供給の確保に資するという点において社会的妥当性を有し、法規範の具現行為であり法秩序の一部をなすものであつて社会観念からの逸脱性は全くなく、法律秩序全体の見地から見て社会的相当行為であつて、刑法三五条により違法性が阻却されると主張する。

そこで考えるに、先ず、前記のとおり構成要件該当性が認められる本件各行為について、独占禁止法の規定の適用を除外する明文の規定が存在しないことは明らかである。即ち、独占禁止法自体にも、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の適用除外等に関する法律」にも、また石油業法にも、石油精製業者の原油処理量の制限行為について独占禁止法の規定を適用しない旨の規定も、また石油連盟に対し同法八条を適用しない旨の規定も存在しない。しかしながら、石油業法は、いうまでもなく独占禁止法の施行後に、石油精製業等特定の事業について特別に制定された法律であつて、独占禁止法の基礎とする競争促進政策の制限となりうる「事業活動を調整すること」に関する規定を内容とするものであるから、もし本件原油処理量の配分行為が、石油業法の定める供給計画制度を実施するため通産省の指示又は委任に基づいて行なわれた措置で、同法がその運用として許容していると解されるものであるならば、その行為は法令による行為又は正当な業務による行為であり、刑法三五条により違法性が阻却されるといわなければならないし、そうでないとしても、右配分行為が通産省の任務に属する石油需給調整を実施するために必要とされ、同省の指導ないし容認の下に行なわれた協力措置であるならば、事情の如何によつては、正当な行為として刑法三五条の趣旨により違法性が阻却される余地もないではないと考えられる。そこで、このような観点から、本件各行為の違法性について検討する。

二通産省による石油需給調整と独占禁止法

1  石油業法の性格

石油業法制定の事情については既に述べたが、要するに同法は、原油の輸入自由化に伴い、外貨割当制度に代つて、石油業の事業活動を調整する必要から制定された。当時の石油の需給事情から見て、放置すれば石油精製設備拡大及び石油製品生産、販売の過当競争が激化するおそれがあつた。石油業法は、この事態に対処するため通産省が必要と考えた政策に基づいて立案された。

石油業法一条は「この法律は、石油精製業等の事業活動を調整することによつて、石油の安定的かつ低廉な供給の確保を図り、もつて国民経済の発展と国民生活の向上に資することを目的とする。」と定めているが、石油が国民生活及びあらゆる事業活動に必須の主要なエネルギー源かつ工業用原料であることにかんがみれば、その安定的かつ低廉な供給の確保が国民全体の利益にかかわる極めて重要な要請であることは言うをまたないところである。

そこで右の目的を達成するために同法が定めた方策を概観すると、同法は、石油精製業を行なうこと及び特定設備についてのみ許可制をとり(四条、七条)、これによつて長期的に安定した企業体制を整えることに最重点をおき、その大枠の中では業者の創意発揮及び原則として自主的な判断による生産を期待する建前のようである。しかし、同法は、その大枠の中での需給調整ももちろん重視しているのであつて、そのため通産大臣が毎年度五年間の石油供給計画を定め(三条)、石油精製業者に毎年度生産計画を作成して届け出させ(一〇条一項)、更に「石油の需給事情その他の事情により、石油供給計画の実施に重大な支障が生じ、又は生ずるおそれがあると認めるとき」は、生産計画の変更を勧告する(一〇条二項)という制度を設け、最終的には行政介入が行なわれることがあることを定めて、その背景の下で業者が供給計画を指針として生産を自主的に調整するように仕向けているのである。そうしてみると、同法は、長期的にも短期的にも、国による需給調整によつて石油の安定的な供給を図ろうとする方針で一貫しているということができる。その需給調整の主要な内容が、前記のような立法当時の情況から見て生産の抑制にあつたことも明らかである。

また、石油業法は、安定的であるのみならず低廉な価格による石油の供給を目的としているのであるが、同法一五条が、石油製品の価格が不当に下落するおそれのある場合を標準価格設定の一要件としていることからもうかがわれるように、同法は、石油業者が企業努力だけでは事業を継続することが困難になるような価格の下落や乱売の横行は安定的供給の確保の上から好ましくないという見地に立つていると解される(鈴木証言三九回)。通産省が行なつてきた需給調整には、この見地に基づく市況対策としての意義が多分に含まれていた。

右のような性格をもつ石油業法上の制度は、独占禁止法の基礎とする公正かつ自由な競争を促進する政策とは相容れない場面を招来することがありうるが、石油業法は、前記目的を達成するために、その設けた規定の許容する限度で競争原理の機能を制限したものと解すべきである。

2  供給計画の実施方法

石油供給計画は、告示当初の年度以降五年間にわたるわが国全体の需要予測の上に立ち、その需要を満たすに足りる供給量を示すものであるが、設備過剰の状態の下においてそれのもつ実際上の意義は、短期的には石油製品の生産及び輸入の制限量、長期的には設備許可枠の基準を示すことにあつた。供給計画のもつ生産制限としての役割はその時の需給事情により強弱の変化があるが、それが強いときほど各精製業者の届け出る生産計画の合計が供給計画と一致することが強く望まれるのに、その一致を期待することが困難になる。既に述べたとおり、供給計画は各業者に対し一定の生産量を指示するものではない。各業者としては、自己の設備能力比率又は市場占拠率あるいは供給計画の対前年度比伸び率などにより供給計画が自己に期待するおおよその数量の目安をつけることはできるはずであるが、それに従う義務はない。石油業法の明示する短期的な需給調整のための行政介入手段は前記の通産大臣の勧告制度だけであり、その発動は前記要件がある場合に限られる。しかし、勧告の規定の適用だけで円滑な需給調整が行なわれると考えるのは現実に即しない。同法の定める制度を合目的的かつ円滑に実施するには一定限度における通産省によるいわゆる行政指導が必要であることは、本件の審理に現われた行政の実際から理解されるところである。

通産省は、前記(第四第三節一)のとおり石油業法等に従い石油関係の行政を行なう任務を有するのであるから、その行政目的を達成するため必要な限度において行政指導を行なうこと、即ち石油業者等に対し特定の事項につき任意の協力、履行を求めて働きかけることは、その指導の内容が法令に違反しない限り、また実質上強制に等しいような不当な手段によるのでない限り、許容されると解すべきであり、石油業法もこのような行政指導による運用を予定していると解することができる。たとえば、通産省が生産計画の届出を受理するにあたり、その計画が著しく過大又は過小であると認める場合、個別的に修正を要請するような方法がそれである。また、石油業法による勧告の要件が存在する場合にも、これを発動する前に行政指導を行ない、相手方の同意を得て勧告と同様の目的を達成する方法が考えられる。同法による勧告そのものも、一種の行政指導にほかならず、強制力をもたないので、相手方がこれに応ずるとは限らないのであるから、その前段階として相手方に勧告内容を示し、これに応ずるよう要請、説得することは、勧告制度の運用として、許容されるところであると解される。

3  行政指導と独占禁止法

右のような行政指導は、石油精製業者の事業活動を拘束するもので、独占禁止法の基礎とする政策とは相容れないが、石油業法の解釈上許容される同法の運用と認められる限り、これを違法ということはできない。また、通産省が個々の事業者に対し個別に指導を行なう限り、共同行為等独占禁止法の禁止規定に形式的に違反する行為ではありえない。

問題となるのは、通産省が多数の精製業者に対し、一律に原油処理量(製品生産量でも同じである。)を制限する基準を定め、又は個々の業者の原油処理量を指示した割当表を示してこれに従うよう指導する方法である。この方法は、個別的指導を一括して行なつたものと見る余地はあるが、各業者は他の業者もこれに従うことを前提としてのみ従おうとする場合が多いであろうから、業者間の共同行為を招く危険がある。これが行なわれた場合、業者の行為のみが違法であるとは言い難いであろう。また、このような方法は、国家統制的な色彩が強く、営業の自由の侵害となる疑いを生ずる。したがつて、それは、供給計画の実施に重大な支障を生ずるおそれが顕著で、その適正な実施のためやむを得ず行なう場合に限られるべきであろう。たとえば、業者の生産計画の集計結果が供給計画を著しく超過し、個別的に行なつてもなお適正な計画変更が行なわれないことが明らかに予測される事情があるような場合がこれである。

更に、右の方法の統制的な色彩を避け、円滑に需給調整を行なう目的で、事業者団体を指導して各業者に対する原油処理量の制限を行なわせる方法も用いられたことがある。この方法は、行政指導による自主調整とも呼ばれるが、指導のしかたによつては実質的に前記の方法とあまり異ならないし、いずれにしても行政介入になる。しかもそれは、ほんど常に共同行為を招くことになる上、事業者団体に対し独占禁止法八条一項一号に形式的に違反する行為を指示することにほかならず、石油業法がその運用として本来そこまで予定しているものとは解し難い。石油業についても、独占禁止法の定める不況カルテルの要件を満たすに至り、共同行為を必要とするときは、正規の手続をふみ公正取引委員会の認可を受けてこれを行なうべきであるというのが法の趣旨であると解される。したがつて、右のような行政指導は、一般に許容されないものといわなければならない。

もつとも、刑法上の行為の違法性は、単に個々の法規の解釈によるだけでなく、諸般の具体的事情を考慮し、法秩序全体の見地から判断されるべきものである。

三本件各行為に対する評価

1  通産省の関与の程度

前記認定のとおり、通産省は、昭和三七年度下期から昭和三八年度下期まで石油連盟に対する行政指導により生産調整を行なわせ、昭和三九年一月からは自ら全精製業者に対する行政指導(原油処理量の配分)により生産調整を行なつた。同省は、昭和四一年九月一六日生産調整の撤廃を決定し、その後通産省の直接配分による公然たる生産調整は行なわれなくなつたが、昭和四一年度下期にも前記(第四第四節四2)の経緯で業界において生産調整が行なわれたのであり、右事実によれば、右生産調整は通産省の石油連盟に対する要請に基づいて行なわれ、通産省が容認していたものと認められる。昭和四三年度下期には前記(第四第四節五1)の経緯で生産調整が再開されたが、右事実及び後記第八の三3の事実によれば、右生産調整も通産省の石油連盟に対する要請に基づいて行なわれ、通産省が容認していたものと認められる。このとき以来、石油連盟は毎年度半期ごとに需給常任委員会において生産調整を行なうようになり、それが慣行化した。通産省は、そのつど生産調整を要請することはしなかつたが、前記事実(第四第四節五1ないし4)によれば、これを容認し、需給調整の行政に利用していたことが認められる。なお、以上述べた生産調整は、前述のとおりいずれも原油処理量の制限を内容とするもので、基本的には同様のものである。前記生産調整廃止に関する鉱山局長発言(第四第四節四1)には「地下カルテル的行為は認められないこと」という一項もあつたが、右の事実によれば、通産省は右のような生産調整は地下カルテル的行為に該当しないものと解していたと認めざるを得ない。

本件生産調整は、石油連盟が右慣行に従い需給常任において従前とほぼ同様の方法により行なつたもので、通産省が当初から指示、要請したものではない。しかし、前記認定に現われているとおり、同省鉱山石炭局の石油担当参事官、石油業務課長、同課需給班長、石油計画課長(鈴木証言三六回、三九回)、同課計画調査班長(田村証言四〇回)らは、石油連盟が原油処理量を配分して生産調整を行なつていること、各精製業者の業法計画は右生産調整による配分量に基づいて作成されていることを知つており、担当官が生産調整の早期とりまとめを要請、援助し、また部分的には配分基準、配分量等に介入した。これらの事実によれば、通産省は本件各行為を容認し、これを需給調整の行政に利用したということができる。

2  通産省に対する協力

昭和四七年度下期及び昭和四八年度上期に各精製業者が通産省に届け出た業法計画の集計結果は、概ね、通産省の需給計画に合致していた(第四第五節二10、三4イ)。本件生産調整が行なわれず、各業者が自由な判断に基づいて生産計画を立てたならば、その原油処理量及び生産量の合計はこれを上回つたであろう(第四第五節四1)。その意味で、本件各行為は一応通産省の行政に役立つたといえる。もつとも、右各期とも内需の伸びが予想を上回り、ことに昭和四八年度上期にはそれが著しかつたため、業法計画は過少となり、通産省は業法計画受理にあたりその修正を要請したり、何回も増産を要請した。このような要請はすべて石油連盟に対して行なわれ、石油連盟が所要の措置をとつた。右要請に応ずるため、需給常任は、昭和四七年度下期には一回、昭和四八年度上期には三回、原油処理量を追加配分したが、この配分も期初の配分と同じ比率によつて行なわれた(第四第五節二10、11、三4、5)。このような生産調整の実施面を併せて見ると、本件生産調整は、通産省が需給調整を合目的的かつ円滑に行なうことに寄与し、協力措置としての役割を果したということができる。

しかし、右各期の実績から見ると、内需実績が石油連盟の見通しを大きく上回つているので、当初の配分総枠が過少であつたことは明らかである(第四第五節二12イ、三6イ)。このような結果論は別としても、右各期当初の需給事情にかんがみると、本件のような生産調整を行なわなければ、通産省の供給計画ないしその見直しの需給計画の実施に重大な支障を生ずるほどの生産過剰のおそれがあり、したがつて本件各行為がやむを得ない措置であつたとまでは認められない(脇坂四九・三・二四、二五検四項)。

3  石油連盟の自主性

本件生産調整は、右のように通産省の行政に対する協力措置としての役割を果してはいたが、石油連盟が通産省の意向に全面的に従つて、その代行者又は手足として供給計画制度の実施にあたつたものとは認められない。たしかに、通産省は、石油に関する行政事務を行なうにあたり、その作業の一部を石油連盟の専門委員会、事務局あるいは石油業者の従業員に指示、依嘱して行なわせていた。需要予測作業、供給計画策定のための資料作成、生産計画の集計作業などはそれで、これらの場合にはその作業はまさに行政事務の一部の補助にほかならなかつた。しかし、本件生産調整はこれらと異なり、石油連盟が全体として通産省の容認の下に行動しつつも、概ねその自主的判断により内容、方法を決定し、これを通産省に承認してもらうという形態で推進されており、その過程においては石油連盟の判断が通産省の意向と異なることもあり、かなり自主性を帯びたものであつた。

たとえば、昭和四七年度下期には、石油連盟は、通産省の指示による需要専の需要見直しを参考としながらも、独自の判断により右見直しによる本土分内需を一〇〇万キロリットル少なくした数量に基づいて需給計画(「適正需給計画」、「適正需給バランス」、「業界計画」などと呼ばれている。)を作り、これに基づいて原油処理量の配分総枠を算出した。その後通産省では右需要専の内需見通しに灯油需要を三五万キロリットル増量したため、昭和四七年一〇月三一日の段階では通産省と石油連盟との各需給計画における内需量の差は一三五万キロリットルとなつた。同日付の石油連盟の需給計画は結局通産省によつて了承されており、また沖縄県からの製品持込み量等を考慮すると、通産省の需給計画のほうが合理的であるとは必ずしもいえないのであるが、概して石油連盟に需給計画の生産量及び原油処理量を通産省のそれより減らそうとする傾向があつたことは否定できない(第四第五節二2、3、7、9、)。

昭和四八年度上期には、石油連盟が期初に作成した需給計画は全体として見て供給計画と概ね一致していたから、この点において石油連盟の自主的判断は僅かしか働いていないのであるが、同期には、当初から中間留分を中心とする需要の増勢が顕著だつたので、供給計画に基づいて配分すること自体がかなり生産抑制的な効果を生ずることになつたのである。そこで通産省は再々石油連盟に増産を要請し、石油連盟もこれに協力して各業者の生産計画を増量させ、また三回にわたり多量の追加配分を行なつたが、需給委員長は、その配分量についてはこれを厳守するよう要請し、前記共同石油グループの増処理問題についても通産省に対し業界の自主性を主張したのである(第四第五節三1ないし5)。同期の生産量は需要を超え、在庫量が著しく増加しているので(第四第五節三6イ)、通産省の増産要請はいささか性急に過ぎたのではないかとも思われるが、このことは別問題である。

そうして、石油連盟のこのような自主的判断の裏には市況対策、即ち市場価格の維持ないし引上げの目的が存在したことも否定できない(瀧口供述七四回、瀧口四九・三・一三検一、二項、同月二六検三項、脇坂四九・三・二四、二五検二項、小貝四九・四・二六検一項、中島証言一三回、多々井証言四回、杉浦証言二二回、加治隆介証言五二回、角屋証言五二回、符四一「社長会議事録(一)」)。しかし、石油の安定的供給を期するため価格の不当な下落を防止し、市況の安定を図ることは、通産省の政策でもあつた。業界がそれ以上に市況対策に熱心だつたのはむしろ当然のことであり、そのことが直ちに後述の生産調整についての違法の意識につながるものではない。

4  結論

本件各行為は、前述のとおり独占禁止法罰則の構成要件に該当し、同法の適用を除外する規定は存在しないのであるから、違法性阻却事由の存在しない限り違法であると認めるべきである。右各行為は石油業法の定める供給計画制度を実施するために同法が許容する運用措置とは認められないので、法令による行為又は正当な業務による行為にはあたらない。右各行為が通産省の容認の下に行なわれ、同省の行政に対する協力措置としての役割を果していたことは認められるが、そのことから直ちにこれを社会的に相当として正当な行為と認めることはできず、むしろ右各行為が通産省の供給計画ないし需給計画の実施に重大な支障を生ずるおそれがあるためやむを得ないでした行為とは認められないこと、その内容、方法に石油連盟の市況対策としての配慮をした自主的判断が加わつていることなどの事情を考慮に入れ、法秩序全体の見地から考察すると、右各行為は許容されるべきものとは認められない。したがつて、違法性阻却事由は存在しない。弁護人らの前記主張は採用できない。

第八被告人らの責任

一総説

被告人脇坂及び同瀧口が本件各行為に際し前記構成要件(第六)に該当する事実を認識していたことは、前記認定の事実(第四第五節)自体から推認することができる。したがつて、特段の責任阻却事由がない限り、右被告人両名には故意があり、故意をもつて右各行為に出た責任があると認めるべきことになる。

しかし、弁護人らは、右被告人らには違法性の意識及びその可能性がなかつたと主張している。そこで、右主張にかかる事実の存否について判断することにする。

もつとも、この点については、「犯意があるとするためには犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、その行為の違法を認識することを要しない」とする法律判断が最高裁判所の判例として定着しているから、犯罪の成否の問題としては右事実について判断する必要がないという見解もありうる。しかしながら、右の趣旨の判例は、違法であることを知らなかつたとの被告人の主張は通常顧慮することを要しないという一般原則を示したものであるか、あるいは当該事件においてはその主張に理由がないとするのであつて、行為者が行為の違法性を意識せず、しかもそのことについて相当の理由があつて行為者を非難することができないような特殊な場合についてまで言及したものではないと解する余地もないではない。そうして、右の特殊な場合には行為者は故意を欠き、責任が阻却されると解するのが、責任を重視する刑法の精神に沿い、「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス」という刑法三八条一項本文の文言にも合致する至当な解釈であると考える。

昭和五一年六月一日の東京高等裁判所判決(高裁刑事判例集二九巻二号三〇一頁)は「無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知つている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかつた場合に、かく考えなかつたことについて相当の理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却する。」という前記と同趣旨の見解の下に一被告人に無罪の言渡しをしたのであるが、右判決に対する上告審において最高裁判所は「原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右の前提事実につき事実の誤認があると認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人に関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない。」旨判示し(第一小法廷昭和五三年六月二九日判決、刑事判例集三二巻四号九六七頁)、事実判断に基づき重大な事実誤認を理由として破棄差戻しの判決をしているのである。右の職権調査が行なわれたことは、最高裁の判例に対する前記理解に支持を与えるものと考えることができる。

そこで、右被告人らにおける違法性の意識の存否につき、まず諸般の情況証拠を、次いで右被告人らの供述を検討する。

二違法性の意識の存在を推認させるような事実

被告人瀧口、同脇坂らが意思を共同して本件の違法な各行為に及んだという事実自体が、一般論としては、同被告人らに違法性の意識があつたことを推定させるということができるであろう。しかし、後記三に示すような具体的事情の下では、右の推定は働かないというべきである。右の一般論とは別に、右被告人らの違法性の意識を推認させるように見える具体的事実として、検察官が指摘する次の二点について検討する。

1  「石油業界の推移」等掲載のとりやめ

石油連盟が毎年発行している「石油業界の推移」は、昭和三七年度から昭和四一年度上期までの生産調整については詳細な記事を掲載していたのに、通産省が生産調整撤廃を決定した昭和四一年度下期以降の生産調整については触れていないこと(符一四の一ないし一〇、符一四五、符一四六)、通産省鉱山局石油計画課、石油業務課編集にかかる昭和四一年三月発行の「石油産業の現状」(記録書証部分一四九一丁)にも生産調整についての解説が掲載されているが、同省鉱山石炭局右各課編集にかかる昭和四五年一一月発行の「石油産業の現状」(符一五九)にはこれが掲載されていないことが認められる。

しかし、被告人脇坂が右二種の刊行物の編集に携わつたこと、又は右のような編集方針を左右しうる地位にあつたことは認められない。それどころか同被告人は、右各刊行物が掲載していた前記記事を続んでいなかつたと認められる(脇坂供述七二回)。また、被告人瀧口が前記各編集方針に関与したことも認められない。「石油業界の推移」が生産調整に関する記事を掲載しなくなつたのは、通産省が公式に生産調整の廃止をした後に、なお行なわれている生産調整に関する記事を掲載するのは妥当でないという石油連盟事務局職員の判断によるものであつて、右被告人らの関知するところではなかつたと認められる(内田証言六三回)。したがつて、前記事実は、右被告人らが違法性を意識していたことの証左とはならない。

2  資料の取扱い注意

被告人脇坂は、昭和四七年一〇月三一日の前記需給常任において「社長会のことが日本工業新聞に掲載されたので公取が動き始めるかもしれない。資料の取扱いに注意されたい。」旨述べ、当日は資料を配付しなかつたこと、昭和四八年四月二日の前記需給常任においても、公正取引委員会に対する配慮から資料の取扱いに注意するよう述べたことが認められる(脇坂供述七二回、多々井証言四回、五回、小貝証言一一回、早猛証言一七回、玉城証言一七回、上山証言二〇回、杉浦証言二二回、堀田鐵男証言二二回、西村証言五一回、角屋証言五二回、五三回)。

しかし、この点について被告人脇坂は当公判廷(七一回、七二回)で、「生産調整に関する資料が外部に流れた場合、それが通産省と無関係になされているように誤解され易く、その場合には独禁法に違反するという疑いをかけられるおそれがあると懸念していた。」「業界独自に勝手に生産調整をやつているのだととられて何かお調べでもあつたら、それだけでも非常に業界としては損失が出てくる。当然新聞に載るし、そういうことを配慮して皆さんに注意しなさいと申し上げた。その前に通産から、多分根岸さんからだつたと記億するが、こうたびたび新聞に出たのではいかんではないかと注意を受けた。」「新聞に各社とのやりとりが興味本位に書かれるのは、私として甚だ迷惑だつた。」「通産省の課長から昭和四七年度下期の生産調整の時期に新聞記事の出所を調べろと言われたことがあり、また昭和四八年三月ごろ供給計画の内容を業界が新聞にもらしたのではないかと厳重な注意があつた。」旨供述している。

右供述にもあるように、通産省は需給計画に等について、公表前にその内容が業界から洩れ、新聞紙等に報道されることのないよう同被告人らを指導し、業界で行なう生産調整に関しても同様の態度で臨んでいたことがうかがわれる(小貝証言一三回)。それでも業界紙等に右のような報道が載ることもあり、たとえば「旬刊セキツウ」昭和四七年九月一〇日号(符一〇四)は、「低迷続く下期石油製品需要」と題し昭和四七年度下期の内需見直しについて詳細報道しているが、「仄聞するところによると」とか「一部憶測によつて補ないデツチ上げた」などと断わつている。また日本工業新聞社発行の雑誌「エネルギー」昭和四七年一〇月号(符九七)(同年一〇月一日発行)には「ニュース展望」という欄に「下期の生産調整で対立、調整基準をめぐる共石、極東の反発」と題し、この問題につき相当詳細に事実を示した記事が掲載されている。右各事実は、同被告人の前記供述を裏づける一資料となる。

右の事実及び後記三の諸事実を併せて考えると、被告人脇坂の前記供述は概ね首肯することができ、以上を総合すれば同被告人が需給常任で資料の取扱いに注意したのは通産省の注意に基づくものであり、また公正取引委員会から誤解されて取調べを受けることがないよう配慮したものであると認められる。したがつて、右の事実は必ずしも同被告人に違法性の意識があつたことを推認させるものではない。

三違法性の意識の不存在を推認させるような事実

次に、前記被告人両名又はその一方が本件各行為に際しその行為の違法性を意識していなかつたことを推認させる方向の事実として、次のような事実が認められる。

1  石油業法施行当初の事情

イ 原油処理量に関する生産調整は、昭和三七年七月一〇日の石油業法施行の時から昭和四一年度上期に至るまで連続して、通産省又はその指示を受けた石油連盟が公然と行なつてきた。その経緯及びこれに関する通産省の政策については既に詳述した(第四第四節一ないし三)。

右の生産調整及びこれに関する通産省の積極的な政策については、当時の通産大臣、通産省鉱山局長らが国会の委員会等において詳細に説明しており、昭和三九年四月一日には生産調整を遵守すべき旨の通産大臣談話も発表されている。それらの発言等の一部は既に引用したところであるが、これらによれば、通産省は、石油業法施行当初から業界の自主的話し合いによる生産調整の重要性を強調して、基本的にはこれに期待し、話し合いのつかない場合には行政指導を行なう方針を示し、現に石油連盟に対する強い行政指導により生産調整を行なわせ、出光興産の脱退により石油連盟だけでは収拾がつかなくなつた後は、行政指導による生産調整は「石油業法運用の一環」(前記大臣談話)であるとの見解の下に直接配分量を示して生産調整を行なつたものであることが明らかである。

ロ 前掲同省鉱山局石油計画課、石油業務課編集にかかる昭和四一年発行の「石油産業の現状」には、石油業法下における昭和三九年度下期までの前記生産調整について解説が掲載されている。また、石油連盟が刊行している前掲「石油業界の推移」の昭和三七年分から昭和四一年度版まで(符一四の一ないし五)には、前記生産調整を指示する文書等及びその生産調整の経緯に関する詳細な解説が掲載されている(内田証言六二回、六三回)。

ハ 昭和三六年一一月から昭和三八年七月まで通産省鉱山局石油課長として石油業法の制定、実施の任にあたつた成田寿治は、同課編集にかかる昭和三七年版「石油産業の現状」(符一四八)のあとがきのなかで、石油業法について「業界の自主調整との関連において政府の行政が遂行され、又業界の自主調整が円滑に行なわれるように行政が誘導するという新しい政府と業界との協調体制を内容とする新しい形の法律である。この理想は業法の運用により、政府と業界の協調体制が促進されて、必ずや円滑に達成されるものと思われるとともに、石油連盟等業界の中心となる人々の活躍と協力とに期待するところが大きい。」と述べている(成田証言七六回)。

ニ 昭和三九年一月九日、出光興産脱退問題を審議した第一三回石油審議会では、前記のように会長や委員から、石油連盟の生産調整に従わない出光興産を非難する趣旨や、生産調整は独禁法に違反しないという趣旨の意見が述べられた(第四第四節三4)。

ホ 前記期間中、公正取引委員会は右生産調整について何らの措置もとらなかつたし、これに対する明確な態度も表明しなかつた(成田証言七七回)。昭和四一年三月四日第五一回国会衆議院商工委員会において公正取引委員会委員長北島武雄は、田中六助委員の質問に対し、通産省と公正取引委員会はいろいろ話し合つて窮極的には意見が一致している、行政指導による勧告操短はカルテルの隠れみのになりやすいので、粗鋼の勧告操短は独禁法上の不況カルテルによるべきだと主張しているが、通産省の責任、権限もあるので推移を見守つている旨述べた後、「石油等の問題につきましては、これは石油業法という問題もございますので、単純な粗鋼のような行政指導ということでもないようにも思います。いわゆる単純に権限と責任による行政指導、特定の法律に基づかない行政指導、それによる減産、これはできるだけ独禁法上の不況カルテルに乗せてまいりたい、こう絶えず前から主張しておりまして、かようにだんだんなつてきている実情でございます。」と、通産省の行政指導による石油の生産調整を石油業法に基づくものと位置づけ、これを容認するように受け取られる答弁をしている(符一八三同委員会議録一一号写)。

ヘ 本件の生産調整は、前記認定のとおり、その方式、対象等において前記昭和四一年度上期までの生産調整とほぼ同様のものであつた。

2  生産調整廃止直後の事情

前記認定のとおり、昭和四一年九月通産省は生産調整を撤廃する旨を決定したが、同省は、その理由として製品価格動向の安定及び各社の経理状況の改善されてきたことを挙げたに過ぎず、この措置によつて石油業者の自由な生産活動及び競争を促進しようと意図したのではなく、従来どおり業界に「規律ある生産」を期待し、生産動向の監視を強めることによつてこれを実現しようと考えたのである。しかも、同月、各社の昭和四一年度下期の生産計画案の合計が供給計画を約一〇パーセント超過することが判明すると、同省鉱山局石油計画課長は石油連盟に対し、各社の計画合計を供給計画に合わせるよう説得することを依頼し、石油連盟会長会社の役員ら及び需給委員長が各社の配分量をきめ、業界には自由な生産を欲する会社も多かつたのに、通産省の依頼である旨を告げて右配分量に従うよう各社を説得し、生産調整が行なわれた(第四第四節四1、2)。

右の事実は、業界の関係者をして、生産調整の廃止は単なる外見上のもので、通産省担当官の真意ではないと思わせるに十分なものであつた。また、実際上も、その後の事実が示すように、通産省の右決定は、同省の直接割当による生産調整は行なわないという以上のものではなく、行政上の一大転換をもたらしたものではなかつた。

右昭和四一年度下期の生産調整に関し、昭和四一年九月二八日付「日刊工業新聞」(符一二五)は、石油連盟の政策委員会が中心となつて各社の生産計画の事前調整を急ぎ、独走増産を押えようとしている旨を、同年一〇月一一日付「日刊油業報知新聞」(符一二七)は、会長会社の努力により各社とも大体健全な方向で生産計画がまとまつているのは結構なことだとの鉱山局長談話を掲載しているが、公正取引委員会は石油業界に対し何らの措置もとらなかつた。

3  生産調整再開時の事情

前記認定のとおり、昭和四二年度及び昭和四三年度上期には需給事情が好転したため生産調整が行なわれなかつたが、昭和四三年度下期には石油連盟が通産省の依頼で各社から生産計画を提出させたところ、供給計画を大幅に上回つていたため、通産省鉱山石炭局石油業務課長小幡八郎らが石油連盟需給委員会に出席し、生産量を削減した生産計画変更の届出を要請したので、石油連盟では需給常任委員会で原油処理量を配分し生産調整に努めた(第四第四節四3、五1)。

なお、当時の加藤需給委員長、小貝需給副委員長、内田需給課長らは、小幡課長が右の要請をする以前から何回も通産省を訪れ、同課長らと接触して通産省の意向を聞き、生産調整の必要性や方法についても意見を述べていたのであるから、小幡課長らは石油連盟が生産調整を行なうことを知つて容認していたのであに、需給委員長らもそのように理解していたものと認められる(小貝証言一一回、一三回、内田証言六三回)。

昭和四三年八月二六日付「日刊工業新聞」(符六九)、同年九月三〇日付「日刊燃料油脂新聞」(符一六八)、同年一〇月二二日付同新聞(符一六九)等の業界紙には、通産省が減産指導を行なう模様である旨又は業界の自主調整努力が成果を挙げていない旨を含む報道記事が掲載されている。

昭和四四年度上期にも石油連盟の提出させた生産計画が供給計画を大幅に上回つていたので、需給常任が生産調整を行ない、それが慣行化し、通産省担当官がこれを容認し、利用して石油の需給調整を行なつていたことは、前記認定のとおりである(第四第四節五2、第七の三1)。

昭和四四年四月二四日付「朝日新聞」(符一五五)には、通産省が石油製品市況立て直しのため石油業界に過当競争の自粛を求め、供給計画を守らせるなどの行政指導を強める方針を明らかにした旨の報道記事が掲載されている。

しかし、右期間にも公正取引委員会は何らの措置もとらなかつた(脇坂供述七一回)。

4  被告人脇坂の需給委員長就任後の事情

被告人脇坂が昭和四四年六月需給委員長に就任以来、加藤委員長時代の生産調整を引き継ぎ、しばしば通産省担当官に報告し、その指示を受け、あるいは了承を得て、石油連盟の生産調整に携わつてきたこと、通産省担当官が右生産調整を容認し、これを利用して石油需給調整の任務を遂行していたことは既に述べたとおりであり、特に本件生産調整についてはその経緯を詳細に認定したところである(第四第四節五2ないし7、第五節全部、第七の三1、2、3)。その過程において、次のような事実があつた。

イ 石油連盟は、昭和四六年下期から、従前のように各社の業法計画提出前に石連あての生産計画を提出させることなく生産調整を行なつているが、これは、生産計画をあらかじめ提出させても超過するにきまつているから提出させないでよいという通産省の了承に基づくものである(第四第四節3、小貝証言一一回、一二回)。

ロ 昭和四七年度上期に際して通産省は、供給過剰の事態を懸念して業界の意見を尊重する方針を示し、内需量を供給計画より二〇〇万キロリットル少なくした見通しに基づいて生産調整を行なうことを了承し、これに基づく業法計画を参照して実行計画を作成した。また、沖縄県からの製品持込みの制限措置をとり、業界内のこれと異なる合意をも認める意向を示した。更に昭和四八年以降完成予定の設備の稼働を制限し、昭和四七年度下期完成予定の設備についても稼働率は当局の指示に従う旨の念書を差し出させた(第四第四節五4、6、7)。

ハ 昭和四七年度下期の生産調整にあたり、被告人脇坂、多々井全二らは、昭和四七年八月末から何回も通産省を訪れ、根岸石油業務課長、小田同課需給班長らに対し、通産省の需給見通しより一〇〇万キロリットル少なくした石油連盟の需給計画の内需量や配分基準の改定問題を含め、生産調整の進捗情況について報告し、同年一〇月三一日付の業界計画及び配分量等を示す表を提出し、根岸課長に説明して了承を得た(第四第五節二3ないし9)。

ニ 右期の生産調整に際し、配分基準をめぐつて業者間に意見の対立が生じ、被告人脇坂がその調整に手間取つていた際、通産省鉱山石炭局の担当官らは、下期の需給見通しを立てる必要上、生産調整がすみやかに決定されることを希望し、被告人脇坂らに対し早期とりまとめを要請した。同局の飯塚参事官は、配分方式について委員長案を支持し、また九州石油、極東石油工業の陳情にかんがみ両社に対する配分量の増加を数量を示して指示し、更に委員長案に反対する日本石油及び昭和石油に対して自ら説得を行なつた。同参事官は、業界における配分を違法とは感じていなかつた(飯塚証言四四回)。昭和四七年一〇月二七日及び同月三〇日配分問題の実質的解決を図るために開かれた社長会について根岸課長は強い関心を示し、その結果を即日報告させた(本項につき第四第五節二4ないし8)。

ホ 右の社長会は、全共連ビル及び赤坂プリンスホテルで、被告人瀧口、同脇坂のほか、一三会社の社長級の人々が集まつて開催されたが(第四第五節二8)、右社長会の各議事録(符四一、四二)の記載に徴しても、右参会者中に自己の行為を違法であると思つている者があつたとは考え難い。

へ 前述(第八の二2)のとおり雑誌「エネルギー」昭和四七年一〇月号(符九七)には生産調整の内幕に関する相当詳細な記事が掲載された。この雑誌の同年七月号(符九八)には海外開発原油の持込みに関して前記飯塚参事官や被告人瀧口のインタビュー記事などが掲載されており、このような点から見て右雑誌は石油業界、経済官庁等にかなり流布されていたと考えられるが、石油業界はその当時公正取引委員会から生産調整について何らの注意をも受けなかつた。

ト 公正取引委員会は、昭和四六年七月石油連盟に対し、同連盟が同年二月石油製品の価格引上げの決定をしたとして勧告を行なつているので(符一四の一〇「昭和四六年版石油業界の推移」)、同連盟の独禁法違反行為について関心を抱いたと推認されるが、同連盟の生産調整については本件各行為当時に至るまで何ら注意、警告、調査等の措置をとらなかつた(脇坂供述七二回)。

チ 被告人脇坂は、本件各配分決定後数次にわたり通産省から中間留分の増産要請を受けたが、そのつどこれに応じ、業法計画の修正や得率上昇の指示、原油処理量追加配分等の措置をとつている。通産省は、増産量の各社配分については石油連盟に委ねた。昭和四八年度上期には、三次にわたる合計九一八万七千キロリットルもの追加配分によつて、当初の配分をほとんど意味をなさないものとなつた(第四第五節二10、11、三4、5)。このことと相まつて、生産調整は通産省の行政に奉仕する協力措置としての役割を果していた。

リ 被告人脇坂は、昭和四八年四月下旬根岸課長が共同石油グループに対し個別に増産要請をし、そのため同グループが多量の超過処理計画を提出して生産調整とは別枠にしてもらいたいと主張したことに不満をもち、根岸に対し個別要請の真意をただし、同年六月一日の前記三者会談では、通産省が業界の秩序を乱すのは困ると同人をかなり強く難詰した(第四第五節三5イ、ロ、多々井証言三回)。同被告人が生産調整を違法と考えていたとすれば、監督官庁の担当官に対しこのような強い発言をすることは考え難い。

ヌ 右三者会談において根岸課長は「通産省は業界内の生産調整には表面上ノータッチである。」と述べているが、この言葉は通産省の本件生産調整に対する態度をよく示している。被告人脇坂にもその意味はよくわかつていたと思われる。

ル 本件生産調整に関する書類は編綴されて石油連盟事務局に保存されており、その中には石油連盟の需給計画、配分案等の資料はもちろん、需給常任、正副委員長の打合せ、生産調整のためのヒヤリング、需給研究会のメモも含まれている(符二「四七/下No.1(資料)綴」、符八「四七/下No.2(資料)綴」、符三「四八/上No.1(資料)綴」、符一〇「四八上二(資料)綴」、符一六「需給研究会綴」)。また、昭和四八年六月被告人脇坂が需給委員長を退任するに際し、同被告人は多々井をして次期委員長武信光に対する引継ぎ事項及び昭和四八年度上期の生産調整の経緯(七月九日分まで)を日誌風に記載したものを作成させ、武信に交付させたが、これらも保存されている(符一一「需給委員長引継ぎ事項」、符一三「四八年度上期生産調整の経緯」)。これらの書類は本件生産調整の内容、経緯を詳細に示すものであるが、被告人脇坂が事務局職員に対しその秘匿などを命じたことはなく、事務局もこれを秘密扱いにしていなかつた(多々井証言三回ないし六回、内田証言一四回、桑原証言一五回)。

ヲ 公正取引委員会による本件告発の直後ごろ、多々井は事務局職員をして昭和四七年度下期の生産調整の経緯を日誌風に記載したものを作成させ(符一二「四七年度生産調整の経緯」)、また前記「四八年度上期生産調整の経緯」を補充させ、これらを当時の石油連盟会長密田博孝に差し出した(多々井証言六回)。右ル、ヲの事実及び多々井の証言(四回)を総合すれば、多々井ら事務局職員は本件生産調整を違法とは思つていなかつたものと認められる。

ワ 被告人脇坂は、本件生産調整の過程において共同石油グループの超過処理に対し繰返し注意を促してはいたが、昭和四七年度下期には同グループの前期超過量の大半を棚上げしてやり、昭和四八年度上期には結局同グループの配分枠を超過した生産計画を事実上容認したに等しい(第四第五節二11、三5、6)。このような点から見て、同被告人は、石油連盟としての建前上配分決定の遵守を強調しつつも、その実際上の拘束力は弱いものであることを自覚していたと認められる。

5  通産省の生産動向監視

前記認定のとおり、通産省は昭和四一年度下期以降生産動向の監視体制を強め、毎月生産実績等を報告させ、これを生産計画(石連フォームによるものを含む。)と対比して生産調査委員会等において生産指導を行なつてきた(第四第四節四1、第五節四1)。本件各行為当時にも次のような生産制限的な指導が行なわれていたことが認められる。

イ 昭和四七年一〇月一二日の生産調査委員会において、小田需給班長は、各社委員から同年九月分原油処理実績の対計画比増減の理由等を説明させた後、鹿島石油、富士石油、三菱石油等が大量の超過処理をしたことを叱責し、今後五パーセント以上の処理超過をする場合には事前に変更計画を提出しなければならないと述べた(高川証言六三回、符八六「昭和四七年九月分原油処理および石油製品生産状況」中二頁)。

ロ 昭和四八年九月ごろの生産調査委員会において、小田班長は、ある会社の生産実績が計画を相当超過したことについて、その理由を厳しく追究した(斉藤証言一八回)。

ハ 鹿島石油は、昭和四七年度下期に生産計画を超過する原油処理を行なつたことについて昭和四八年三月二七日付で通産省鉱山石炭局石油業務課課長根岸正男あてに書面を差し出したが、右書面には次のように記載されている。「日頃、特段のご配慮を賜わり厚く御礼申し上げます。(中略)弊社の四七年下期における生産実勢は、昨年一〇月二七日付でご提出致しました生産計画に比較し、原油処理量で九万六千キロリットル程度増加する見通しと相成り、誠に恐縮に存じますが、何卒、よろしくご高配賜がりますよう伏してお願い申し上げます。」(西川証言五〇回、符三八中「四七年度下期生産実勢について」)。右の一〇月二七日付計画は通産省の指示により提出された暫定計画で、配分決定に基づくものではないが、精製業者にとつては、通産省の指導によるものでも需給常任の配分決定によるものでも生産制限であることに変りはなかつた。

右のように通産省が以前から生産制限的な指導をしてきたことなどのため、精製業者の間には石油連盟の生産調整も通産省の指導により、あるいは通産省に協力して行なつているものであるという観念があり、大多数の者にはそれが違法であるという意識はなかつたと認められる(早猛証言一六回、一七回、斉藤証言一八回、陣証言二一回、杉浦証言二二回)。業界のこのような意識は、被告人瀧口、同脇坂らにも概ね共通していたと考えるのが自然である。

四被告人らの供述の検討及び責任の判断

1  被告人脇坂について

被告人脇坂の検察官に対する供述調書中には「四七年度下期の原油処理量の割当をした需給委員会の決定は石連の常務会とか理事会にかけていない。何故かけないかについては、同委員会の決定を常務会や理事会にかけずに石連の決定とする慣行があつたことのほか、ざつくばらんに申して独禁法に触れる感じを持つていたことから正式に理事会等にかけたくないという気持があつたからである。」旨(四九・三・一四検六項)、また「右のように石油精製業者の原油処理量を割当によつて制限し相互の自由競争の場を放棄させてその決定に従うような取決めをすることは独禁法に違反するカルテル行為であると思つていた。」旨(四九・三・一六検二項)の供述記載がある。

この点について同被告人は、当公判廷において、専門家の検察官がこうなんだと話すので、そういうものかなという気にもなつてきた旨弁解しているのであるが(七二回)、右各供述記載を検討すると、検察官の質問内容をそのまま承認したものであるような節も感じられるのみならず、前者は行為当時既に存在していた慣行に従つた理由を合理的に説明しようとしたものであり、後者は抽象的な法解釈に近いものであつて、左記のように公判供述が信用できることに徴しても、同被告人の具体的な違法性の意識の証拠としての証明力に乏しいものと認められる。

そうして、同被告人は、当公判廷において「私共が実施してきました生産調整は、石油業法の精神に沿い、通産省と密接な連携をとりながら行なつておりましたので、常識的に考えて、これが独禁法に違反するとは思つてもおりませんでした。」と述べている。ただし、前掲(第八の二2)のとおり、生産調整が通産省と無関係になされているように誤解されると、独禁法違反の疑いをかけられるおそれがあると懸念していたというのである(七一回)。

同被告人は、前記三に列挙した諸事実のうち自己が直接体験していないものを全部具体的に知つていたとは認められないが、その経歴、ことに昭和四四年六月以来需給委員長として通産省担当官としばしば接触しつつ生産調整の業務に携わつてきたこと及び同被告人の部下であつた丸善石油渉外部職員吉田敏昭の証言(七〇回)に徴すると、生産調整の行なわれてきた経緯、通産省担当官の意向、業界の関係者の意識等に精通し、前記三の諸事実の大部分を大綱において知得していたと認められるのであつて、このようにして同被告人が体験、認識した前記三の各事実を併せて検討すると、前記「私共が実施してきた生産調整が独禁法に違反するとは思つてもいなかつた」旨の同被告人の供述は信用することができる。即ち、同被告人の当公判廷における供述及び前記三の各事実を総合すると、同被告人は、本件のような生産調整は、業界が通産省に無断で行なう場合には独占禁止法違反になるが、同被告人らは通産省に報告し、その意向に沿つてこれを行なつており、通産省の行政に協力しているのであるから、この場合には同法に違反しないと思つていたことが認められる。これを法律的に言えば、同被告人は、自己らの行為については違法性が阻却されると誤信していたため、違法性の意識を欠いていたものと認められる。

そうして、前記三の諸事実を検討すると、同被告人が右のように信じたのも無理からぬことであると思わせる事実が多く存在するのであるから、同被告人が違法性を意識しなかつたことには相当の理由があるというべきである。

前記全事実によれば、同被告人は、石油業法の下で、あるいは通産省の直接指導により、あるいは通産省の指導、要請に基づく石油連盟の協力措置として実施されてきた生産調整の歴史の流れの中で、需給委員長に選任され、生産調整を正当な職務と信じ、何ら違法感をもたずに、誠実にその職務を遂行してきたものと認められるのであつて、その違法性を意識しなかつたことには右のとおり相当の理由があるのであるから、同被告人が本件各行為に及んだことを刑法上非難し、同被告人にその責任を帰することはできない。したがつて、同被告人にはこの点において故意即ち「罪ヲ犯ス意」がなかつたと認められる。

2  被告人瀧口について

被告人瀧口についても、被告人脇坂について右に述べたところと概ね同様のことが認められる。

被告人瀧口の検察官に対する各供述調書は、全体として石油業界における生産調整の必要性を強調する趣旨のもので、その中で同被告人は「石連の需給委が原油処理量の枠を決めたり各社の配分率を決めたりしていた。しかし、それは私が会長になる前から続いていたことで、私はそれを踏襲したまでである。それなのに、このたび公正取引委員会から、そのような生産調整はいけないと言われ、驚いている。」旨述べている(四九・三・一二検八項。被告人瀧口に対してのみ証拠とする。)。

同被告人は、当公判廷では、本件は原油処理量を通産省のきめる供給計画の総枠に合致させるための業界の自主調整である旨を強調し、「自由化の時代に勧告権で強制的に業界を抑制するようなことは通産省としても好まないから、なるたけ業界だけでそういうことをやつてもらつて、自分のほうは行政指導でそれをやはり強く強制するようなことが世間にわからないようにして、自分の政策に従わせようという意図で、自主調整というもののほうが通産省としては具合がよかつたのではないかと私は思います。」旨述べている(七五回)。また、公正取引委員会や検察官の取調べについて「私はこの問題について、政府の業法を施行するのに我々が協力をしてやつたことだということが頭にありまして、むしろ犯罪とみなされるなどということを私としては考えたこともないのです。ですから公取に調べられたときにも、我々はそれほど深刻には考えてないです。」旨述べている(七五回)。

同被告人は、その経歴に徴し、生産調整の行なわれてきた事情、通産省担当官の意向、業界の関係者の意識等について被告人脇坂以上に精通し、前記三の諸事実の大部分を大綱において知得していたと認められるのであるから、右各事実を併せて検討すると、右の「犯罪とみなされるなどとは考えたことがなかつた」旨の供述は信用することができる。即ち、被告人瀧口の当公判廷における供述及び右各事実を総合すると、同被告人も、被告人脇坂と同様に、自己らの行為について違法性が阻却されると誤信していたため、違法性の意識を欠いていたものと認められ、また、その違法性を意識しなかつたことには相当の理由があるというべきである。そうである以上、被告人瀧口が前記のとおり石油連盟会長として、同会長に就任前から同連盟で行なわれていた生産調整を違法とは思わず、本件の各場合にもこれを行なうことに賛同、関与し、これをやめさせなかつたからといつて、それを刑法上非難し、同被告人にその責任を帰することはできない。したがつて、同被告人にはこの点において故意がなかつたと認められる。

第九結論

被告人石油連盟は、独占禁止法九五条二項に基づき刑事責任を追求されているのであるが、右の規定は、団体の代表者等が同法八九条等の「違反行為をしたとき」に適用されるものであるところ、右の違反行為とは、所定の罰則の構成要件を充足し、違法かつ有責な犯罪行為というものと解すべきである。ところが行為者たる被告人瀧口及び同脇坂には前記認定のとおり故意が認められないのであるから、右被告人両名が違反行為をしたことの証明がないことになる。

被告人瀧口及び同脇坂については、前記認定のとおり起訴にかかる本件各所為は認められるが、いずれも故意は認められない。

結局、各被告人の被告事件について犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条により各被告人に対して無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

公判期日に出席した検察官の官氏名

検事深澤保二郎、同野村幸雄、同岡村泰孝、同田中豊

公判期日に出席した弁護人の氏名

被告人石油連盟につき

弁護士(故)入江一郎、弁護士藤堂裕、同梅田孝久、同草野多隆

被告人瀧口につき

弁護士金子作造、同長部謹吾、同坂上寿夫、同伊藤和子

被告人脇坂につき

弁護士(故)坂本雄三、弁護士佐野隆雄、同植松正、同近藤良紹、同宮下明弘、同立石邦男

(勝俣利夫 環直彌 小野慶二 齋藤昭 小泉祐康)

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